吉田茂元首相の国葬 お膝元では当時、どう報じたか

吉田元首相の死去や国葬が行われる見通しを伝えた1967年10月21日の神奈川新聞1面の紙面

 安倍晋三元首相の国葬が間近に迫っている。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係や法的根拠、費用、弔意強制への懸念などを理由に、賛成よりも反対の声が上回っている。戦後、首相経験者の国葬は吉田茂氏(1967年)のみ。神奈川県にもゆかりのあった吉田氏の死去や国葬について、神奈川新聞はどう報じたのか。今回のように賛否は分かれていたのか。当時の紙面をひもといてみた。   

 吉田氏は、日本国憲法の施行やサンフランシスコ平和条約調印時の首相で、戦後の日本の骨格をつくったと評される。一方で、自己主張を通したことから「ワンマン宰相」とも呼ばれた。67年10月20日に大磯の自宅で亡くなった。89歳だった。

 翌21日の神奈川新聞は1面トップニュースとして報じ、「吉田元首相 戦後初の国葬へ」と見出しでうたう。〈(外遊中の佐藤栄作首相の)帰国を待って正式に決めることになるが、戦後初の国葬は確実〉と記しており、この時点で実施が既定路線だったことがうかがえる。また、〈(政府は)国会の了承を得ることにしているが、社会党の勝間田(清一)委員長も国葬とすることに賛成している〉とし、超党派で行われる見込みを伝えた。2面や社会面も関連記事が多くを占めた。

 22日の紙面では、日本武道館(東京都千代田区)で31日に開催されることが内定したと報じたほか、〈二十一日も夜おそくまで弔問客が続いた〉と吉田邸の様子を紹介。地元の大磯中学校や大磯小学校の子どもたちが吉田邸を訪れ、霊前に菊やユリの花をささげたことも伝えた。

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