“特別史跡への道” 出島・国史跡指定100年 『価値』 発掘による補強進む

記念展で展示される「白地花文更紗貼り薬箱」(上)と「伊万里赤絵壺」(長崎市出島復元整備室提供)

 長崎市の出島(出島和蘭商館跡)が国史跡指定100年を迎える12日、現地では100年の歩みを振り返る記念展が開幕する(12月18日まで)。常設展示とは別に江戸時代、西洋に開かれた唯一の窓口だった特異な歴史を物語る資料など約40点を特別展示。史跡としての歴史や価値をあらためて紹介する。
 和洋が融合する歴史を物語る展示物の一つは「白地花文更紗(さらさ)貼り薬箱」。江戸後期に国内で製作された往診用の薬箱が、カラフルな文様のインド起源の布製品「更紗」で装飾された品。第3期復元整備事業(2016年完成)で購入、普段は非公開となっている。
 「伊万里赤絵壺」は江戸時代、出島から輸出された3点セットの有田焼。飾りとして欧州で使用されたが、三つともふたが壊れ、今はオランダ・デルフトで製作された代わりのふたが付けられている。さらに日本に里帰りした後、うち一つのふたのつまみが再補修され、日蘭の陶磁器が融合した珍しい資料という。
 このほか、出島で初めて本格的な発掘調査が行われた1984、85年の範囲確認調査で出土した、17世紀から19世紀前半にかけての陶器や瓦、ガラス製品、動物の骨といった出土品の集合展示などもある。担当する市出島復元整備室の和田奈緒学芸員は「発掘で出土した遺物や、西洋との交流があった出島ならではの資料がメイン」と話す。
 出島が史跡指定された100年前、国が示した指定理由は、鎖国期唯一の西洋との貿易地だった特異性と、海に浮かぶ扇形の人工島だった昔の形状がしのばれることの二つだった。こうした基本的価値は今も変わらないが、復元整備に伴う発掘や調査研究が進んだことで、考古学の側面から歴史的価値の補強が進む結果となった。半面、関連する多くの調査結果が積み重なり、全てを網羅的に把握するのが容易でない状況も生まれている。
 市出島史跡整備審議会・総括報告書作成小委員会の下川達彌委員長(活水女子大特別教授)は「出島の特別史跡指定が遅れた背景には、(古文書を基にした)文献史学と発掘成果との突き合わせが進んでいなかったことがあった。総括報告書の作成は、国が出島の価値を判断しやすいように、文献と発掘を合わせたこれまでの膨大な調査結果を、簡潔にまとめなおす作業といえる」と解説する。
 市出島復元整備室の元尾賢治室長は「史跡の保存や復元を進めるには、市民や訪れた観光客に出島の歴史を誇りに感じてもらい、守っていこうという気持ちを持ってもらうことが不可欠。出島の価値を正しく理解してもらうためにも、しっかりした総括報告書の作成に努めたい」と語った。

◎歴史学と考古学とは

 歴史学(文献史学)は過去の事実について、文献・史料を基に解明する学問。対して考古学は遺跡や遺構など、過去の人類の活動の痕跡を基にする。文献史学で不明な事柄が考古学によって明らかになるなど、相互補完的に歴史研究が進められている。


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