「中国よ、覇権主義に陥るな」京セラの故稲盛氏が18年前に鳴らした警鐘 国家副主席は「王道を歩む」と誓った、「習一強時代」に重み増す相互理解の哲学

中国・上海で、経営哲学について講演する稲盛和夫氏=2015年5月(京セラ提供)

 8月に死去した京セラ創業者の稲盛和夫氏は、中国でも「経営の神様」と呼ばれ、アリババグループの創業者、馬雲(ジャック・マー)氏ら名だたる企業家から尊敬を集めた。「アメーバ経営」に代表される先駆的な企業管理手法と、中国の伝統思想を融合した独自の哲学が共感を呼び、学びの輪は死後も中国で広がり続けている。その影響力は政府中枢にも及んだ。18年前、中国共産党の幹部向けに行った講演では、軍事大国化で他国を脅かす「覇道」を歩まぬよう、強く警鐘を鳴らしている。日中国交正常化から50年を迎え、習近平総書記(国家主席)が「一強体制」を固めて3期目に突入した今、稲盛氏の残した言葉はさらに重みを増している。(共同通信=西川廉平)

 

アリババグループの馬雲氏(左)と面会する稲盛氏=2014年6月、中国・杭州(京セラ提供)

 ▽「ドラッカーより稲盛」
「われわれ日本人は千年前から中国の賢人の教えを学んできた。自分が企業経営の中で得た経験を、今度は中国の経営者に伝えたい」
 中国で“稲盛ブーム”に火が付き始めていた2009年。稲盛氏は著書の翻訳を手がける北京在住の曹岫雲氏にこう思いを語り、中国で経営哲学を広めるための新会社設立を決めたという。
 今でこそ中国はGDPで世界2位の経済大国に躍進し、首位の米国に迫る勢いだが、日中が国交を正常化した1972年当時は、建国の指導者、毛沢東の下で統制的な計画経済を実施しており、自由な経済活動は許されていなかった。文化大革命の混乱もあり、経済規模や技術力は大きく立ち後れた状態にあった。
 その後、1978年の改革開放を経て社会主義の看板を掲げたまま市場経済にかじを切ると、民間企業が続々と誕生し始めた。解放された豊かさへの欲望は高度成長の原動力となる一方、利益のためには手段を選ばない拝金主義や深刻な腐敗も横行した。

中国・北京で行われたイベントに参加した稲盛和夫氏(右端)。左端は翻訳者の曹岫雲氏(左)=2010年6月(京セラ提供)

 中国の企業家の心を捉えた理由について、曹氏は「巨大な富を手にして物質的に豊かになっても心に空虚さを抱えていた経営者たちは、物心両面の幸福を説く稲盛哲学に出合い、目からうろこが落ちる思いをした」と、社会背景を交えながら解説する。
 著名経営学者のピーター・ドラッカーら西洋のマネジメント理論よりも、陽明学や仏教に根ざした稲盛哲学の方が「漢方薬のようで受け入れやすい」と評する中国の経営者もいる。

北京市内の書店に並ぶ稲盛和夫さんの著書=8月30日(共同)

 ▽NTTの牙城を崩した男
 経営の実践面で評価が高いのは、京セラに続いて通信会社の「第二電電企画」(現KDDI)を設立し、それまで日本の電気通信サービスを独占していた電電公社(現NTT)の強固な牙城を崩したことだ。中国は市場経済化が進んだものの、今日に至るまで国有企業が幅広い領域で支配的地位を占めている。常に不利な条件での競争を強いられている民間企業の経営者は、このエピソードに大いに励まされるという。
 稲盛ファンを公言する経営者の年代は幅広い。人民解放軍から身を転じて1987年に華為技術(ファーウェイ)を創業した任正非氏から、動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」を運営するバイトダンス創業者の張一鳴氏ら若手経営者にまで支持は広がる。世界各地に拡大した稲盛哲学の勉強会「盛和塾」は2019年に解散したが、中国だけは今も存続し、会員数は1万7千人を超える。

中国・北京で経営哲学について講演する稲盛氏=2010年6月(京セラ提供)

 ▽孫文の100年前の忠告
 交流は実業界にとどまらず、政府要人とも深い関係を築いた。2004年4月、北京市の中国共産党中央党校。国家主席の習近平氏も後に校長を務めた幹部養成機関で「伸びゆく中国のリーダーの方々へ」と題する講演を行い、350人を超える党幹部が耳を傾けた。
 京セラに残る講演録によると、稲盛氏は中国の革命家、孫文が1924年に神戸で講演し、日本民族は「西洋の覇道の番犬」となるのか「東洋の王道」を守るのかと問い、軍国主義化をけん制した発言を紹介。そして「日本はこの忠告に耳を貸さず、一瀉千里に覇道に突き進み、第二次世界大戦の敗戦という破局を迎えた」という歴史的経緯を振り返った上で、こう訴えた。
 「必ずや近い将来、経済大国となり、強大な軍事力も身につける中国には、ぜひ覇権主義に陥ることなく、王道による国家運営を行っていただきたい」
 その日の夕刻。京セラ関係者によると、当時の曽慶紅国家副主席は、講演記録を読んだ上で稲盛氏と面会し、「中国は決して覇権の道をとらない。王道を歩んで行くつもりだ。それを日本の国民に伝えてほしい」と明確に語ったという。

京セラ本社の視察に訪れた胡錦濤国家副主席(当時、左)と稲盛氏=1998年4月、京都市(京セラ提供)

 ▽求められる相互信頼の知恵
 国交正常化から50年を迎え、日中関係は台湾情勢などを巡り再び緊張が高まっている。習氏は閉幕した第20回共産党大会で、欧米流のモデルとは異なる「中国式現代化」によって強国路線を歩むと宣言。毛沢東時代を彷彿とさせるイデオロギー色の強い政治方針が自国の民間企業のマインドを萎縮させる懸念もある。外国企業にとっても、京セラのようなハイテク企業が経済安全保障上の観点から中国リスクの再点検を迫られるケースが一段と増えることも予想される。過去の不幸な歴史を繰り返さないためにも、日中両国の政治家には、相互信頼や「徳」を重視する稲盛哲学を未来に生かす知恵が求められそうだ。

© 一般社団法人共同通信社