【中原中也 詩の栞】 No.43 「一つのメルヘン」(詩集『在りし日の歌』より)

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……

【ひとことコラム】水のない河原に音をたてて陽が射していて、石にとまった蝶が姿を消すと、そこに水が流れている。そんな小さな物語が〈さらさらと〉の繰り返しの中に優しい口調で語られていきます。冒頭の一行は全体にかかり、美しい幻想世界へ開かれた窓のような役割を果たしています。

(中原中也記念館館長 中原 豊)

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