「核」ある限り 思い受け継ぐ 秋月夫妻しのぶ墓前祭

秋月夫妻の墓前に花をたむけ手を合わせる三根代表=長崎市石神町

 長崎の反核平和運動をけん引し、2005年に89歳で亡くなった被爆医師の秋月辰一郎さんと、看護師だった妻の壽賀子さん(20年11月、102歳で死去)をしのぶ墓前祭が20日、長崎市石神町の墓地であった。夫妻と親交があった約30人が功績や思い出を振り返り、核兵器廃絶や世界平和への思いを新たにした。
 夫妻は爆心地から1.4キロの浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)で被爆しながらも、共に救護活動に奔走。アニメ映画「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」のモデルにもなった。辰一郎さんは長崎平和推進協会の初代理事長を務めるなど長崎の平和運動をリードし、壽賀子さんは句集の発表などにも取り組んだ。
 墓前祭は、生誕100年の2016年から、辰一郎さんの命日に合わせて実行委(三根眞理子代表)が開いている。参加者が献花、黙とうをささげた後、「被爆体験を語り継ぐ 永遠(とわ)の会」の杉本雅親さん(69)が辰一郎さんの著書「『原爆』と三十年」の中から「一宗教者の証言」の一節を朗読した。
 出席した秋月夫妻の長女藤信子さん(72)は「平和運動をしなくてよくなるのは核がなくなったときだと思う。核が世界にある限り、これからの若い人も受け継いで発信してほしい」と話した。


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