死去から1年…被爆者 坪井直さん 継がれる遺志 広島

県被団協の前理事長で被爆者の坪井直さんが亡くなって10月24日で1年です。核廃絶を訴え続けた思いは今も受け継がれています。

「バーンときたらポーっと蒸発してしまった。遺品何もありません。頭めがけてガーンと、そんなショックですよ」(1998年)

「核実験に対して一点?も理解する点はない。絶対に許されん」(2016年)

坪井直さんが96歳で亡くなってから1年。理事長を引き継いだ箕牧さんは原爆慰霊碑に献花し偲びました。

県被団協 箕牧智之理事長「坪井さんいよいよ慰霊碑の中に名前が収めまれて、長い間ご苦労さまでしたと。坪井さんがいつも発言されたネバーギブアップ

あらためて考えてみたいと思う」

1976年翠町中学校で教頭だった坪井さんと出会い、その後も交流を続けてきた元教員の松井久治さん(68)。

坪井さんを慕う教員たちが定期的に集まった「すなお会」など退職後も交流は続きました。

教員時代の後輩 松井久治さん「(今も)どこかでいつも見られているような感じがする。師匠みたいな感じなんですよね僕にとったら。ただの上司という感覚よりも本当にいろいろなことを教えてもらったなと」

松井さんが翠町中学校に着任してすぐ学校で見つかったのが原爆で犠牲となった生徒の学籍簿です。

しかし詳しいことはほとんど書かれてなく空白が目立ちました。

坪井さんの発案で生徒たちと一緒に遺族や住民らを訪ねて話を聞き取りし、1冊にまとめました。

松井久治さん「名簿をどうにかして埋めようというのが最初の目的なんだけど、教室の中の平和学習ではできない体験、生の話を聞いて生き様を感じるという取り組みに変わっていくそいういうことが本当の平和学習ではないかということだった」

松井さんは平和公園でガイドするなど、坪井さんの存在は今も「先生」として生き続けています。

松井久治さん「いろいろなところで坪井先生の話をする限りは坪井先生はまだ存在していると思う。坪井直という名前を出すことは同時に核兵器廃絶を話しているときだと思う。それぐらいイコールの人だったと思う。(坪井さんの話を)言い続けたいなと思います」

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