那須烏山にあった織田信長の位牌 尾張から遠く離れた地にどうして 【あなた発 とちぎ特命取材班】

天性寺に安置されている織田信長の位牌(右)。左は位牌を精巧に再現したレプリカ

 「栃木県内の歴史を調べていたところ、那須烏山市の寺院に織田信長(おだのぶなが)の位牌(いはい)があると知った。その経緯と、実際に見ることができるかを知りたい」。下野新聞「あなた発 とちぎ特命取材班」に質問が寄せられた。尾張(愛知県西部)の信長と栃木-。どんなゆかりがあるのか、資料をひもとき、寺院を訪ねた。

 「那須烏山市の文化財」(同市教委発行)によると、確かに信長の位牌は市内の古刹(こさつ)、天性(てんしょう)寺に安置され、市有形文化財(歴史資料)に指定されている。

 時に安土桃山時代の1590(天正18)年。豊臣秀吉(とよとみひでよし)による小田原征伐の論功行賞の際、信長の次男、織田信雄(のぶかつ)は父、信長が残した領地(遺領)にこだわったことで秀吉の怒りを買い、清洲城を中心とした尾張、伊勢、伊賀120万石の大名から、わずか2万石の領主として島流し同然に烏山へ移されてしまった。

 信雄は烏山に移ると剃髪(ていはつ)して「常心」と号し、秀吉にひたすら恭順の意を示しながら、天性寺で父の菩提(ぼだい)を弔った。それでも秀吉の怒りは容易には収まらず、信雄は翌1591年、烏山から秋田へと転封を命じられる。信雄が烏山を去るに当たり、信長の位牌が寺に残されることになったということだ。

 記者が寺を訪ねてみると、前住職の大山勝道(おおやましょうどう)さん(83)が特別に位牌を見せてくれた。木製で、高さは55センチほど。やや表面が朽ち始めているが、なるほど、400年以上を経過した風合いが感じられる。

 表には「揔見院殿贈大相國一品泰巖大居士」と信長の戒名が、裏には「天正壬牛年六月二日信長御叓 織田常心信雄安置之者也」と信雄が安置したことが刻まれている。

 「一国の英傑の位牌。代々の住職が大切に預かってきたのは間違いない」と大山前住職。普段は本堂の奥に、那須氏代々の位牌などと共に安置されている。新型コロナウイルス禍もあり、一般の人が気軽に見ることは難しいが、天性寺へ事前に連絡して了解を得られれば、実際に見せてくれることもあるという。

 天性寺は那須烏山市南1の4の25。(問)同寺0287.82.3156。

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