<社説>首里城火災から3年 県の主導で一体的復興を

 首里城火災から3年が過ぎた。3日には首里城正殿復元工事の起工式が行われる。6年ぶりに開催されている世界のウチナーンチュ大会のさなかに節目を迎え、世界のウチナーンチュの期待にも応える形で工事が本格化することを喜びたい。 工事は国の事業として行われる。しかし、沖縄のシンボルの復興であり、主体は沖縄県であることを改めて確認したい。沖縄振興と同様、沖縄戦と、その後日本から切り離され長く米統治に置かれたことに対する「償いの心」で日本政府は支援しなければならない。県は堂々と主導権を発揮してもらいたい。

 工事は始まっても課題はまだまだ多い。スプリンクラーや貯水槽など防火設備は整えられるが、管理体制の仕組みや防災人材について、管理体制構築検討委員会ではまだ議論の途上だ。火災だけでなくさまざまな災害を想定する必要がある。「見せる復興」で工事期間中も観光客が訪れる。完璧な防災体制を求めたい。

 火災で焼失したり傷んだりした美術工芸品の修復・復元は、建物の復元よりはるかに時間がかかる。研究と人材育成を兼ねた、息の長い取り組みを見守ることになろう。

 新たな知見により、30年前の前回より正確な復元が実現する。しかし、論争になっている大龍柱の向きは、技術検討委員会は「暫定的な結論」として前回の相対向きを踏襲するとした。1877年の最古の写真では正面向きだ。第三者による評価委員会の設置を求める意見もある。開かれた場で県民が納得できる結論を導き出すべきだ。

 県は、旧県立博物館跡地で中城御殿の復元を、正殿と同じ2026年度に完了し、一部区域の公開を目指している。龍潭周辺も整備し、円覚寺三門の復元も進めている。首里城を核とする周辺一帯の文化財復興が進めば、観光的にも魅力は何倍にも増す。

 首里城地下の日本軍第32軍司令部壕の保存・公開も重要だ。32軍壕が造られたために首里城は米軍の標的となり失われた。ここからの指揮の結果、県民の4人に1人が命を失う悲劇に至った。沖縄戦の責任を後世に示し続ける「負の遺産」だ。首里城周辺一帯と地下の32軍壕を一体として復元・保存し公開することで、ここは琉球王朝の繁栄から琉球併合、沖縄戦、戦後復興に至る沖縄の近現代史を学ぶ空間になる。

 正殿復元の総工費は120億円と見積もられている。約33億円だった30年前の復元の約4倍だ。防火対策強化、材木の高騰によるという。それだけに、内外から県に寄せられた55億円超の寄付金の存在は大きい。自分ごととして復興を願う多くの人々の思いの結晶である。寄付に託された心を生かすためにも、県は開かれた議論の場を設けて県民の納得を得ながら、地下も含めた周辺の一体的な整備に取り組むべきだ。

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