日本代表、W杯を主力として戦った歴代最強若手メンバー

7大会連続でワールドカップに出場する日本代表。

ここでは、当時20代前半ならが本大会を主力として戦った歴代メンバーを振り返ってみる。

2014年大会

山口蛍(24歳)

2012年ロンドン五輪でレギュラーとして活躍すると、翌年の東アジアカップで大会MVPに選出されるなどブレイク。

アルベルト・ザッケローニ監督のもとでW杯本大会でも2試合に先発起用された。コロンビアとのグループステージ最終節は途中出場。なお、全試合スタメンだった吉田麻也は当時25歳だった。

2010年大会

長友佑都(23歳)

2008年に代表デビューすると、歴代2位となる137試合に出場してきた生けるレジェンド。

自身初のW杯となった2010年大会は全4試合にフル出場した。2014年、2018年大会でも全ての試合にフル出場しているが、36歳になった今大会は果たして。

2010年大会

本田圭佑(24歳)

日本史上唯一となるW杯3大会でゴールを決めた男。

2010年1月にCSKAモスクワへ移籍すると岡田武史監督を納得させるパフォーマンスを見せ本大会のメンバー入り。

大会直前に中村俊輔がレギュラーから外され、本田は1トップとして初のW杯に臨むと、2ゴールを決める大活躍を見せた。

2002年

稲本潤一(22歳)

五輪代表も兼任したフィリップ・トルシエ監督のもとで多くの若手が抜擢された大会。

当時アーセナルに所属していた稲本は開幕から2試合連続ゴールを決め、一躍時の人に。

ただ、その後の2試合は前半だけで交代させられており、本人は苦々しい思い出もあるとか。

2002年

中田浩二(22歳)

トルシエに最も寵愛を受けた男。

守備のユーティリティ性を評価され、3バックの左に抜擢されると、全4試合にフル出場した。

2005年にはトルシエが率いていたマルセイユに移籍している。

2002年

小野伸二(22歳)

日本サッカー史上最高峰の天才。弱冠18歳で選出された1998年大会は最終戦で11分間だけプレー。

母国大会となった2002年は全4試合に出場した。最初の2試合は途中出場だったが、最後の2試合は先発フル出場している。

2002年

戸田和幸(24歳)

ド派手な赤モヒカンで強烈なインパクトを残したボランチ。

闘志あふれるハードかつ献身的なプレーがトルシエに評価され、全4試合にフル出場した。

本人によれば、この髪形には人生をかけた闘いに挑む意気込みような意味合いがあったそう。

1998年大会

中田英寿(21歳)

日本が世界に誇るヒデ。岡田武史監督のもとで攻撃の軸に抜擢されると、日本初のW杯で全3試合にフル出場した。

21歳という若さながら司令塔としてチームを牽引。レギュラーのなかでは最年少ながら絶対的といえる存在で、まさに稀有な例といえる。

1998年大会

川口能活(22歳)

ヒデ同様に若くしてW杯を主力として戦ったレジェンドGK。

1996年のアトランタ五輪でブラジルを撃破する「マイアミの奇跡」で名をあげた。フル代表でも正GKを掴み取り、3連敗にはなったが、1998年大会の全試合でゴールを守った。

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その後、同世代の楢﨑正剛とともに2002、2006、2010年とW杯4大会に出場。ただ、ピッチに立ったW杯6試合は1分5敗と勝利を掴めず。

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