覇道か、王道か

 中国建国の父、孫文は日本を「第二の故郷」と呼んだ。日本での亡命生活が長く、長崎生まれの実業家梅屋庄吉ら多くの日本人に支えられたからだ▲亡くなる3カ月半前の1924年11月末には「大アジア主義」と題して神戸で演説した。「今後日本が西洋覇道の犬となるか、あるいは東洋王道の牙城となるか、日本国民が慎重に考慮すべきことであります」▲「力」で領土を拡大する西洋流の覇道か、それとも「徳」の治を重んじる東洋流の王道を行くのか。それは中国侵略の野望をあらわにし始めた日本に対する心からの「遺言」だった▲最近、中国のニュースに接する度に孫文の演説を思い出す。中国共産党大会で異例の3期続投となった習近平総書記(国家主席)の演説は「社会主義近代化強国」「世界一流の軍隊づくり」など「強」の言葉にあふれていた▲かつて日本は孫文の忠告を無視して覇道を突き進み、泥沼の戦争にはまり込んで敗れた。日中両国は50年前の国交正常化の際に共同声明で「覇権を求めない」と誓い合った▲国際社会と協調し、アジアの平和と安定を守ることが新興大国・中国にふさわしい王道だろう。古来「一衣帯水」の中国と交流し、友情を築いてきた本県。中国がいつまでも良き隣人であってほしい。多くの県民が願っている。(潤)

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