「複数の代表チームでW杯に出場した」5名の伝説選手

11月20日に開幕を迎えるワールドカップ2022。世界中の国を代表するチームが集まり、王者を争う大会だ。

現在では国籍のルールがかなり整備されており、複数の国でプレーすることはかなり少なくなっている。ただ、歴史的には2つの代表チームでワールドカップを戦った選手も…。

今回は、そんな「複数の代表チームでワールドカップに出場した5名の選手」をご紹介する。

ルイス・モンティ

代表:アルゼンチン、イタリア

出場した大会:1930、1934

1901年生まれの名選手。アルゼンチンで生まれたイタリア系の人物で、ウラカン、アトレティコ・パレルモ、サン・ロレンソでプレーしたあと、1930年にユヴェントスへと加入した。

頑強でフィジカルが強く、激しいマークでボールを奪い、すぐに見事なパスで味方にチャンスを提供できるミッドフィルダーであったと言われており、この世代で最も優れたプレイメーカーの一人だと評価されている。

1924年からアルゼンチン代表としてプレーし1930年W杯など16試合に出場。ユヴェントス移籍後はイタリア代表に入り、1934年W杯を含めて18試合でプレーした。

フェレンツ・プスカシュ

代表:ハンガリー、スペイン

出場した大会:1954、1962

ハンガリー史上最高の選手として評価されるフェレンツ・プスカシュ。伝説の代表チーム「マジック・マジャール」のエースとして活躍したものの、1956年に発生したハンガリー革命の影響を受けて国に戻ることを拒否。

亡命のために2年間もの出場停止を受けてしまったが、そのブランクを経て1958年にレアル・マドリーへと加入。すでに31歳になっており、体型もやや丸くなっていたものの、その圧倒的な左足のシュートでゴールを量産した。

そして1962年にスペインの市民権を獲得。それからスペイン代表にも招集され、夏のワールドカップにも出場している。

ロベルト・プロシネツキ

代表:ユーゴスラヴィア、クロアチア

出場した大会:1990、1998、2002

1990年のワールドカップは21歳で出場。UAE戦ではゴールを決めてユーゴスラヴィア代表の勝利に大きく貢献した。しかしその後国自体が解体され、1994年大会には参加できず。

そしてクロアチア代表に入ったあと、1998年のワールドカップでは歴史的な3位入賞という結果を残すことに成功。プロシネツキ自身も2ゴールを決めており、歴史上初めて「2つの代表チームでワールドカップでのゴールを決めた選手」にもなった。

ユーゴスラヴィア代表としては15試合4ゴール、クロアチア代表としては49試合10ゴールの成績を残している。

ロベルト・ヤルニ

代表:ユーゴスラヴィア、クロアチア

出場した大会:1990、1998、2002

そしてもちろんプロシネツキの同僚ロベルト・ヤルニも同じくワールドカップ3大会に出場した選手だ。ユーゴスラヴィア代表として1990年にデビューし、ワールドカップ1990を含めて7試合でプレーした。

その大会後にクロアチア代表として招集されてルーマニアとの親善試合で初出場。それからチームの中心人物として欠かせない存在となり、2002年のワールドカップ終了後に現役引退するまで81capを獲得した。

なお、1998年と2002年のワールドカップでクロアチアは10試合を戦っているが、その全てに出場したのはヤルニのみである。

ジョゼ・アルタフィーニ

代表:ブラジル、イタリア

出場した大会:1958、1962

1950~1960年代の伝説的なストライカー。ブラジルのパウメイラスで若くしてデビューし、なんと16歳から18歳までで89ゴールを記録したという。そして19歳で1958年ワールドカップに出場した。

その大会後にACミランへと移籍し、そこで長く活躍。1963年のヨーロッパカップでは大会14ゴールを決め、2014年にクリスティアーノ・ロナウドが更新するまで51年にわたって記録を保持し続けた。

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イタリア代表としては1961年の10月にデビュー。それから24歳でワールドカップに出場したものの、イタリアがグループステージ敗退となったこともあり激しい批判を受け、その後は全ての招集を拒否している。

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