13歳のめぐみが45年前に消え、涙に暮れていた日に手にした聖書に「救われた」 「娘は絶対生きている」母・横田早紀江さんが語った「苦難と希望」

自宅前で和服を着た横田めぐみさん=1977年1月(横田滋さん撮影)

 新潟市に住んでいた13歳の横田めぐみさんが、失踪したのは45年前の1977年11月15日だった。この日から母・早紀江さん(86)の苦闘が始まる。北朝鮮による拉致疑いが浮上し、「死亡」情報も伝えられた。その後、孫のウンギョンさん(35)やひ孫が生まれていたことも分かった。夫の滋さんと共に対面が実現し「めぐみの命の証し」をかみしめた。だが娘の姿はなかった。分断された閉鎖国家の思惑に翻弄される苦難にめげず、希望を失わない。めぐみさんら被害者は「絶対生きている」と信じている。絶望、悲しみ、驚き、喜び…。早紀江さんが心の支えとなった言葉を明かしてくれた。(聞き手、共同通信編集委員・三井潔)

 ▽狂気の日々の始まり

 めぐみが突然煙のように消えてしまったのは、私にとって狂気の日の始まりだった。なぜいなくなったのか、どこに行ってしまったのか? 情報がまったくないまま、何度も自死を考え涙で目が枯れていたある日、初めて手にした聖書の一節に救われた思いだった。めぐみがいなくなってから初めて深呼吸ができ、久しぶりに空気がおいしいと感じた。
    
 「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1章21節)

めぐみさんが着ていた体操着を手にインタビューに答える横田早紀江さん=10月、川崎市

 当時私たちは日本海沿いに住まいがあった。雪が本格的に降り始める時期だったと記憶する。めぐみがいなくなり、私を励ましてくれる意味合いもあったのだろう、知人の女性が聖書を差し入れてくれた。しばらく机の上に置きっ放しにしていた。
 そういえば「ヨブ記を読んでみてね」と言っていたのを思い出した。びっしりと小さな字で埋まった分厚い一冊。開くのをためらわれたが、目を落とすと、すぐにひきつけられた。
 「主は与え、主は取られる」
 すごく短い一文だが、深く胸に刺さった。その時の救われた気持ちを表現するのは難しい。人が生まれ、死んでいくのは必然だが、世の中の喜びも、悲しみも、苦しみも、全てを包み込む人知を超えた神が定める運命の深遠さを感じた。信仰深く「義の人」といわれたヨブが、家族や財産を失うなど数々の試練に向き合う姿が、自分と重なったのかもしれない。

横田早紀江さん(左上)から時計回りに夫の滋さん、ひ孫、孫のウンギョンさん、娘のめぐみさん(写真は「あさがおの会提供」など)

 ▽失踪前日は滋さんの誕生祝い

 めぐみが失踪する前日は、家族だんらんの楽しい夜だった。
 お父さん(滋さん)の45歳の誕生日だったからだ。めぐみが、茶色の皮のケースに入ったくしをプレゼントした。リボンで包み「お父さん、これからはおしゃれをしてね」と明るい声で手渡した。
 お父さんは「ありがとう」と照れ笑いを浮かべていた。早速、くしを手にして髪をとかし「すてきだね」と言って、笑顔のめぐみと一緒に穏やかな表情を浮かべていた。

横田早紀江さんが好きだというめぐみさんの写真

 めぐみの4歳年下で双子の拓也や哲也も2人のほほえましい様子を見ていた。
 お祝いの夕食は、近くの魚屋で買ってきた刺し身だったと思う。5人で新鮮な海の幸をほおばりながら、お父さんと私はビールを手にし、子どもたちはジュースを飲んでいた。

 10月に13歳になったばかりの中学1年のめぐみ。私は「いつのまにこんな生意気なことを言うようになったのかしら」とその成長ぶりを見てちょっぴりうれしかった。
 このくしは、今も自宅に保管してある。お父さんがいつも持ち歩き、めぐみとの「きずな」を確認できる品の一つだからだ。2年前の2020年6月にお父さんが亡くなった時、ひつぎに入れるかどうか迷った。だけど、めぐみがいつか帰国したら「くし」を手にして、お父さんとの思い出を語り合える、と考え踏みとどまった。皮のケースは使い込んで黒ずみ、出し入れ口の糸がほつれたままになっている。

めぐみさんが父滋さんにプレゼントした、くしを手にインタビューに答える横田早紀江さん

 ▽暗転、胸がざわつく

 暗転したのは、その翌日だった。
 夕飯の準備をしている夜、午後7時ごろだったろうか。日銀職員だったお父さんは仕事でまだ帰宅していなかったが、小学生の拓也と哲也は家に戻っていた。いつもは帰っているはずのめぐみの姿がない。
 胸がざわつき始めた。今日はバドミントン部の練習だったはずだ。玄関で「つっかけ」を急いで履いて家を飛び出し、中学校まで必死に走った。だが体育館にいたのは、ママさんバレーのメンバーだった。バドミントン部の練習は既に終わり、めぐみら部員はいつものように帰宅したという。

横田早紀江さん=8月、川崎市(撮影・石黒ミカコ)

 再び家に戻ってもめぐみはいない。何かがあったと胸が締め付けられた。お父さんや学校の先生、警察、知人に手当たり次第に連絡した。大捜索が始まった。
 懐中電灯を手に、拓也と哲也の手を取り、近くの日本海沿いの海岸を回ったり、真っ暗闇の神社の境内を捜し回ったりした。海岸でデートをしていたアベックの車中に懐中電灯を向けると怒鳴られたこともあった。暗闇の中の潮騒と、松林が風に揺れる音が不気味に聞こえ、拓也と哲也が「怖いよ」と体を震わせていたのを覚えている。私は思いっきり叫んだ。

 「めぐみちゃん、どこにいるの」
 何の反応もなく、声が夜空に響いているだけだった。
 警察は誘拐の可能性もあるとして自宅の電話機に逆探知機を付けた。拓也も哲也も連日、警察から事情を聴かれた。警察犬の捜査で分かったのは、自宅近くでめぐみが友人と別れて姿を消したことだけだった。

横田早紀江さん自筆の色紙

 ▽毎日自殺を考えていたが…

 私たちは質素で真面目に生きてきたつもりだった。子どもたちにも厳しく、時に温かく接して教えてきた。それなのになぜ、娘は姿を消したのか。家出をしたのか、誘拐されたのか、事故に巻き込まれたのか…。めぐみはどこで何をしているのか全く分からない。もしかしたら「最悪の事態になっているかも」と何度も不安にさいなまれた。
 自責の念が募り、毎日自殺を考えていた。そんな時にヨブ記の一節に触れ、自分の存在の小ささとともに、めぐみもどこかで生かされていると気付かされた。気が狂いそうだった心が「すーっと」癒やされた。
   
(注) 聖書の表記は「新改訳2017」(いのちのことば社)に従いました。

横田早紀江さんのインタビュー動画はこちら https://www.youtube.com/watch?v=Bj1C-CsnG20

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