歴史的勝利の原点は瀬戸内の島 103年前の “ドイツ戦” 日本サッカーの軌跡

いよいよ始まったワールドカップ(W杯)。日本の初戦の相手は優勝4回を誇る強豪ドイツ…。ところで、日本で初めてといわれる国際交流試合の相手がドイツで、しかも、この広島で行われていたことをご存じでしょうか?

きょうのテーマは、『ワールドカップ ドイツ戦を前に歴史をひも解く 日本初の国際親善試合はドイツ兵と広島で…』。

サンフレッチェ広島 野津田岳人 選手
「上手。ありがとう」

先週土曜日、エディオンスタジアムにおよそ5000人が集まったサンフレッチェ広島のファン感謝祭…。選手たちは、新型コロナの影響で3年ぶりの開催を待ちわびたサポーターと一緒に天然芝の上でイベントに参加しました。

スタジアムの外でもさまざまなイベントが行なわれる中、広島市南区にある似島を紹介する写真の展示がありました。

そして、その似島が、日本での発祥地とされている「バウムクーヘン」の手作り体験会も行なわれ、多くの参加者が列を作っていました。

この似島が、広島サッカー、そして、日本とドイツをつなぐのです。

サンフレッチェ広島 仙田信吾 社長
「広島はサッカー王国と言われているが、この歴史は日本一のサッカーの歴史を持っている」

サンフレッチェ広島の仙田信吾 社長です。社長就任前から広島サッカーの歴史をひも解いてきました。

仙田信吾 社長
「第一次世界大戦後、ドイツ兵に広島の子どもたちは、当時の旧制高校生ですが、サッカーを教えてもらっていて、その技術・伝統で戦前から広島が強かったという。そういう歴史があるんですね」

第一次世界大戦中、中国・青島での捕虜となったドイツ兵が、似島の施設に収容されていました。

ドイツ兵たちは収容中、それぞれの得意分野を生かしてバウムクーヘンやソーセージのつくり方などを伝えたとされています。

そして、ドイツ兵たちは、収容所でサッカーも楽しんでいました。

小林康秀 キャスター
「東千田公園、広島大学跡地です。サッカーは当時、広島でも普及し始めていましたが、ちょうど、このあたりにあった先生になるための学校・広島高等師範学校のグラウンドで、1919年、生徒とドイツ兵による試合が行なわれました」

一説には、これが初めての国際親善試合ではないかともいわれています。

仙田信吾 社長
「やっぱり、広島のサッカーにとって大事な歴史ですね。当然、5対0とか、6対0とかでボロ負けになるわけですよ」

「それで本格的なドイツ式サッカーを学びたいっていうんで、もしかしたら、こういう船で広島高等師範学校の生徒たちは似島に渡っていったようなんですね」

圧倒的に技術が上回っていたドイツサッカーを学んだ生徒たちは、先生となった後も、学んだ技術を広島の学校の生徒に伝え、広島サッカーのレベルは全国トップクラスだったといいます。

原爆投下から2年後、復興ままならない状況下で、今の広大付属高校が、翌年は今の広島国泰寺高校が、高校サッカー選手権で全国優勝。広島に歓喜をもたらしたのです。

サンフレッチェ広島 仙田信吾 社長
「当時の広島のチームだけが左右両足でボールを操れたといわれています」

ちょうどそのころ、サッカーを始めた下村幸雄さん、90歳です。

原子爆弾が投下された1945年8月6日、広島市役所付近で被爆した下村さんは、奇跡的に助かり、被爆から3年後、修道高校に復学した翌年、サッカー部に入部しました。

元日本代表監督 下村幸男さん
「まだ周囲に学校の建物が倒れたまま、後片付けせずに残っている、せまいグラウンドで2年上の先輩がサッカーの練習をしていた」

ボールも数個しかなく、傷ついたら自分たちで縫い直す時代でしたが、広島サッカーは戦後も全国をけん引したと話します。

下村幸男さん
「なぜかといったら、その先輩たちの中に戦前、サッカー部をしていた人が何人かいた。特に修道は一中(国泰寺)に負けるなと教育を受けた、そういう先輩が残っていて、サッカー部を始めた」

先輩の影響を受けた下村さんは、東洋工業蹴球部に入り、日本代表選手として活躍しました。

そして、その後、さらにドイツサッカーの影響を受けることになるのです。

「日本サッカーの父」と呼ばれたドイツ人がいます。

東洋工業蹴球部で日本代表選手として選出され、後に日本代表監督も務めた下村幸男さんに影響を与えたのが、東京オリンピックの日本チーム強化のためにドイツから来日したデットマール・クラマーさんです。

元日本代表監督 下村幸男さん
「当時の日本の代表の監督・コーチもね、それほどサッカーをこうしろという指導はしていないんですよね」

「それが、クラマーさんが来て、いや、蹴り方からボールの止め方からこういうふうにやるんだということ、見本を示しながら指導した。初めてサッカーというのに接したようなことなんですよ」

日本とドイツの親善試合が行なわれて103年…。

ことし、サンフレッチェ広島は、ドイツ代表のコーチも務めたドイツ人・スキッべ監督が率いました。

今シーズン終了後、スキッベ監督は、似島を訪れ、歴史を学んだほか、地元の子どもたちとサッカー交流をしました。

サンフレッチェ広島 仙田信吾 社長
「広島の似島のドイツ軍捕虜の歴史まで深掘りをしてくれて、似島に渡ってくれたっていうのは、また、うれしい話ですね」

代表監督を務める森保一 監督は、「サッカーは平和を発信するという大きな役目がある」と話します。

仙田信吾 社長
「まさに広島のサッカーを強くしてくれたドイツと、初めてワールドカップの監督に臨む森保さんが戦う」

「そのドイツは、広島にもともと、サッカーを教えてくれた故郷のような国だった。たいへんな縁を感じる。しかし、勝ってこその恩返しですよね。勝ってほしいと思います」

広島での初の国際試合からおよそ100年…。世界最高峰の舞台で、日本はドイツに歴史的な1勝を挙げました。

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