なぜ栃木県は「いちご王国」になれたのか 女峰、とちおとめ、そしてとちあいかへ【WEB限定】 東西イチゴ最前線

イチゴをアピールする県版図柄入りナンバープレートのデザインを発表した福田富一知事。2023年10月の交付を目指す=11月25日、県庁

 栃木県がイチゴの産地とした発展を遂げたのは、1952年に集団栽培を始めた宇都宮市と足利市が起源とされる。栃木県農業試験場いちご研究所(栃木市)によると、20(大正9)年に県内で作付けされていた記録が残る。しかし、第2次世界大戦下の食料統制によって生産は途切れた。

 かつて県内で取り組まれていたコメの裏作の主流は麦類と麻だった。戦後、麦類の価格は食料統制の廃止によって下落。麻もまた化学繊維の登場で下落した。麦や麻に代わり、農家の所得を維持・向上できる新たな作物として期待されたのが、収益力のあるイチゴだった。

 本県のイチゴの産地化を語る上で欠かすことができない人物がいる。旧御厨(みくりや)町(現・足利市)で町議などを務めた仁井田一郎(にいたいちろう)氏(1912年~75年)だ。高収益を実現できるイチゴの導入を提案し、議会の賛同を取り付けただけでなく、自らも汗を流した。

 当時、「神奈川が北限」とされていたイチゴの栽培。仁井田氏は、先進地を歩き、栃木県に適した栽培方法の確立に向け、奔走した。露地栽培をはじめ、太陽熱を取り込んだ石垣栽培などにも取り組み、蓄積した栽培技術も、惜しみなく周囲に伝えたという。今、県内の一大産地となっている真岡市や鹿沼市からも当時、多くの農家が学びに訪れたといわれ、産地拡大にいかに貢献したかが分かる。

 仁井田氏は、仲間とともに促成栽培の技術も大きく前進させた。着目したのは、苗を低温にさらすと花が早く咲き、実もなるというイチゴの特性だった。

 気温の低い奥日光の戦場ケ原(日光市)で高冷地育苗に取り組んだ。戦後間もなくの露地栽培では、6月にしか収穫できなかったイチゴ。栽培開始時期が格段に早くなり、2月から出荷できるようになった。「日光イチゴ」は好評を博した。

 いちご研究所元所長の石原良行(いしはらよしゆき)氏(64)は「栃木県のイチゴの歴史は、収穫時期をいかに早めるかだった」と指摘する。出荷時期が1日早まるだけで、売値は高くなる。農家の所得を向上させるため、早期出荷は欠かせなかった。

 1980年代、大きな変化が起こる。本県オリジナル品種「女峰」の登場だ。栽培技術などの面で年内は難しいとされていたイチゴの出荷を、12月上旬に前倒しすることを可能にした。クリスマスケーキ用に欠かせない品種として需要は拡大した。

 いちご研究所の松本貴行特別研究員は「イチゴの消費行動を変えた品種」と当時の衝撃を代弁する。それに加え、夜間に低温で管理する「夜冷育苗」という新たな手法も確立されると、出荷時期はさらに11月上旬にまで早まった。

 最盛期には、県内の99%、全国50%の作付面積を女峰が占めた。全国的な普及品種となった女峰。品種登録から7年後の1992年、栃木県の販売額は系統出荷だけで200億円を突破した。

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 女峰の後継指名を受けた「とちおとめ」は、産地をさらに飛躍させた。甘みと酸味の調和がとれた食味はもちろん、見栄えも良いため、生食でも、加工でも市場から高い評価を得た。経済性や育てやすさが追い風となり、農家はこぞってとちおとめへ切り替えた。

 89年に育種登録されてから間もなく、バブルは崩壊。農業を見直す空気感の高まりも相まって、多くの新規就農者も誕生した。松本特別研究員は「担い手を確保した品種でもある」ととちおとめの意義を語る。

 作付面積は、試験的出荷から3年で県内の5割を超え、2000年には94%に達した。女峰が席巻していた品種の地図はほぼ塗り替えられ、同年の系統出荷額は250億円を突破した。

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 18年、栃木県は生産量50年連続日本一となり、「いちご王国・栃木」を宣言。それを記念して建立された顕彰碑が今、栃木県庁舎前にある。大きなイチゴの形をした石像で、てっぺんには「1」を表す長いへたの軸が伸びている。県庁玄関口で訪れる人たちに日本一をアピールする。

 「女峰、とちおとめの存在を抜きにして偉業達成はなかった」。石像の裏面にはこう記されている。

 22年、生産量日本一は54年連続に更新された。産出額も26年間首位を守り続ける。

 一方、担い手の高齢化は進み、生産者の減少に歯止めがかからない。取り巻く環境が厳しくなる中、本県に明るい光をもたらしたのが新品種「とちあいか」だ。とちおとめを上回る作りやすさと収穫量を誇る。若手農業者へ夢を与え、再び産地躍進をもたらす救世主となるのか。「いちご王国・栃木」は新たな歴史の一歩を踏み出した。

県農業試験場いちご研究所は、国内唯一のイチゴ研究機関。正面入り口にはイチゴのロゴマークがあり、屋根もイチゴカラーだ=11月18日午前、栃木市大塚町
新品種開発のため種から育てた苗の生育状況を調べる研究員。1千㌶を超える敷地では、品種開発のほか、栽培技術を研究するハウスも並ぶ=11月18日午前、栃木市大塚町の県農業試験場いちご研究所
とちおとめ
イチゴ生産量日本一の顕彰碑。揮毫された「万里一空」は同じ目標に向けて努力を重ねることを意味する=12月2日午後、栃木県庁
栃木県が開発したイチゴの新品種「とちあいか」

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