KONCOS - 街と仲間と紡いだ10年。出会った全てに感謝を込めた傑作『Waltz for April』完成!

奪われた3年間、幻の『AFTER SCHOOL』

──KONCOSの活動が10周年ということで、おめでとうございます! 振り返ってみていかがですか?

古川:この3年間ぐらいが止まってたからね。コロナの止まり方は震災のときよりも物事が止まってしまっていて。ライブハウスも含めてね。表現する場所を奪われた。対バン基本でやってきたから、『AFTER SCHOOL』は。いろんな街のみんなを繋げて各地の面白いバンドを呼ぶみたいなのが『AFTER SCHOOL』のテーマで、川本君と一緒に2015年ぐらいからやってるんだよ。『AFTER SCHOOL』って。KONCOS 10年というより『AFTER SCHOOL』始めてからのほうが大きくてさ。あれでツアーしたり、全国のバンドとかを呼んでぐちゃぐちゃにしてやってたのが止まったのはでかいよね。この10年というよりこの10年で作ってきたことが、ここ3年で止まったのが一番でかいかな。SHELTERでやろうとしてた『AFTER SCHOOL』昼の部、夜の部2DAYSがなくなったし、幻の『AFTER SCHOOL』っていうのが1個出来ちゃった。すごく面白い感じで作れていってたことがリアルに全部止まっちゃったから。最後にうわーって人入れてやったのって、BRAHMAN、imai君とやったのが最後なのかな。

──今までのメモってきたんですけど…(これまでの『AFTER SCHOOL』を振り返る)。

古川:コロナで止まってからはまともに対バンしていないもんね。2021年にtoiletとto overは呼んでるけど。コロナ禍っていうなかでも福島と帯広と京都はなんとなくツアーでも行ってて。そのバンドたちを呼んではやってるけど、その他の街に行けてないわけだから、どう呼ぼうかっていうアイデアも生まれないし、動いてないからね。

──今まではアイデア頻繁に出てましたよね(笑)。

古川:KONCOSの10年というかさ、川本君と一緒に作ってきてるものがあって、この『AFTER SCHOOL』でSHELTERで。コロナ禍で僕らのアルバムが出たレコ発、渋谷WWW(『Music is Love』Release Party. 2021.04.03)でのライブ製作はほとんどSHELTERに入ってもらって。あれも基本的にワンマンだけど、ほんとやれるかやれないかわかんないみたいなさ。SHELTERやSSTVのスタッフとどう開催するかミーテイング続けて。このWWWをどうしようかって1年間考えてきたのは大きかったよね。コロナ前から動いてきた『Music is Love』のことと、WWWのレコ発が終わったら、完全にポカンと抜け殻で。気づいたらKONCOS 10年目が来てて、何か作って残さないと、と思ったときに、自主制作でカセットテープを作ることを思いついて。目標ができたら、少しだけやる気になってきた。

──製作はずっとライブができないときも続けていたんですか?

佐藤:スタジオはずっと入り続けてはいたんだけど。

古川:ライブのために曲を作ってたようなバンドだからさ。だからライブないと何のために曲作ってるのかわからなくなるしさ。現場のために練習してるわけで、毎週毎週。レコーディング メインのバンドじゃないからさ。

佐藤:KONCOSの場合は、作品を作って、ライブやって、ツアーやって、みたいな一連の流れをやることで、やりきった感というか、飽きるっていうのもあるんだけど、何か次が見えてきたりするんだよね。あと、ツアーを回ってる途中で出会う人とか街とかバンドとかの刺激で次にどうしていこうとか、やりたいことが見えてくることが多いのだけど。前作の『Music is Love』をリリースしたときはどこも全然回れず止まってさ。

古川:ツアー1本もやってないもんね。すごい時代だ。

佐藤:だからいつもやっていた、作って回ってまた作ってっていうこの循環が一回パンって止まってしまって。からの今回のカセットだから、不思議な感じはするかな。

古川:新しいものを取り入れることに興味が向かなくて。別に後ろ向きな話じゃなくて、すごい最先端の音楽は好きでさ、いろいろ取り入れた音楽とかやりたいなってずっと思ってやってきたけど、これはちょっとまずいぞと。もうちょっと自分たちの根本的な部分を見つめ直して残るものを作らないとただ作っただけで終わっちゃうなって思ってさ。売れる売れないとかじゃなくて、トレンドとかでもなくて。なんかトレンドにも興味がなくなっちゃったし。後ろ向きじゃないよ(笑)。

ずっと作ってきたことのアップデート

──『Waltz for April』はどんな作品になっていますか?

古川:手癖の極みみたいな感じかな。自分たちが作ってきた曲の手癖みたいな、前にもこういう曲あったよねぐらいのことをアップデートしていくみたいな。毎日同じものを作っている料理人とかがいるでしょ? けどちょっと中身変えてさ、アップデートしていったりするわけじゃん? 内容はわからないけど、ちょっとずつね。毎日同じわけでもないみたいな部分というか。たとえばサンドイッチクラブのBLTEはずっとあるし、定番で。あの店だったらあれみたいな、僕らだったらこれ。みたいなところを極めていかないと残らないなって。だからずっと作ってきたことのアップデートを考えたんだよね。新鮮というかKONCOSっぽいよねみたいな。だけどアップデート感もあるみたいな。だからお花のグラフィックとかもずっと続けてることの延長線上みたいな。そうなるといいかなって思って。

──初期のKONCOSらしさみたいなものを感じました。

古川:久しぶりにグランドピアノを使ってるんだよね。それで、曲調もグッドメロディ&転調でちょっとひねくれた感じのコード感と日本語詞とみたいな、僕らのルーツの部分に向かい合ってみた。そのときのトレンドに寄ったりとかさ、けっこうやってたほうなんだけど、寄れるんだけどやめたのよ。ピアノにしか向かってない気がする。あと半分以上、寛の曲だったりするし。コロナで止まって曲のアイデアも出てこないし、どうしようかなって思って1曲ワルツの曲は作ってたんだけど、全然できなくてさ。スタジオで練習してるときも。あとは寛が暇なときに家で作ってたんだよね、珍しく(笑)。

──珍しいんですか(笑)。

古川:ここ10年で初めて2曲ぐらい作ってた(笑)。

佐藤:ayU tokiOのあゆくんが主宰するCOMPLEXってレーベルがあって、そのレーベルのコンピにソロで1曲参加しませんか? っていうお誘いがコロナ直前ぐらいにあって、1曲作ってコンピに参加したんですよ。で、その後コロナが始まりつつも、レコ発のライブをやりたいんですよねって言われてて。ただ、そのライブ用に曲がないし、でもライブやるならせっかくだからKONCOSとは違うものをやろうかなと思って、何曲か作ってライブをやって。それでもコロナはどんどん続いて、家にいる時間も増えたし、さらに詰めて作ってみようかなと思ってさらに何曲か作ってたりして、溜めてたのもあったりで。それが今回わりとね、使えたかなと。あんまないんだけどね。KONCOSだといつもスタジオでみんなで作るから。俺が今回作った曲に関して言うと、家である程度ちゃんとカチッと作ってからスタジオでアレンジみたいな流れだったかな。

場所と人と物作り

古川:その寛が1人でやったライブが良くてさ、めっちゃいい曲じゃんって思って。これは何か形にしたほうがいいなってぼんやり考えてて、アルバムサイズの作品作るほどのテンションでもないし、けど10周年だし。決まっていたライブが全てキャンセルになって、週末の予定全部飛んで、絶望的なタイミングがあって、そのとき寛は多分家に籠って曲作りしててさ。僕はそこで奇跡的に、僕発信じゃなくて羽太がスケートボードやりたいって言い出してさ、じゃあこっちに賭けてみようって思って。だから家で考えるのはやめて、外に出て新しい繋がりと出会いを求めて、パークに通い出したんだけど。スケートのカルチャーって面白くて、どんどん広がってきて、なんかぼんやりしてたのが、繋がっていくわけなんだけど。例えば何が好きなんだろ? って考えたら、カセットテープだなとか。花の絵も描き続けてるし、Foragerのチーコさんのお花、お花の絵、手描きのイラスト、ってどんどん繋がっていって、KONCOSはなんだろって思ってピアノかなって。それでピアノを弾いて、スケートボードで、お花、カセットテープ、寛のソロを聞いてトッド・ラングレンみたいなシンガーソングライター感っていうかちょっとサイケデリックなところの部分と、で、僕が好きな例えばMOCKYじゃないけど今の感じのピアノ、そこにヒップホップだったり、そこら辺の感じがうまく融合したものを頭の中で作れたらいいなって。で、カセットテープを自主で作って、絵をNOTEWORKSでつくった額縁にいれて。自分の周りにある、好きな部分をうまく合わせてキットギャラリーで表現するっていうのが10年なのかなと思って。レコ発はSHELTERと京都nanoでやって、それで仲いい人たちを呼ぶと。この10年、KONCOSでやってきたことと、自分たちの好きなキーワードと、場所と人と、あと物作りを合わせて表現するのが良いかなと思って。まぁそれしかできないよねみたいな(笑)。今までやってきたことが3年間ぐらい止まってるけど、意外とアップデートできるかも、と思って。まとまったらやる気が出てきて。それでじゃあ自分たちでレコーディングするかって。ギリギリだけどね。

シンプルなことがフレッシュな作品に

──ほんとコロナでやる気なくなりましたもんね(笑)。

古川:そうだよね。SHELTERもそうだし、日本全国のライブハウスが続いていることが本当に奇跡だし、踏ん張ってほしい。こんなにライブがダメとか言われてさ。それでブーブー言っててもしょうがないからさ。ライブないから、ライブハウス行く機会も減るし。でもそれはもうしょうがないし。僕にとっては毎日クラブに行ったり、ライブハウス行ったり、そういうのが自分の活動のテンションが上がる部分だったわけよ。それを転換する捌け口がなかったから、2年間ぐらいね。悶々としてたけど、羽太が持ってきたスケートボードの存在がでかいね、ここ数年の中で。脳内、頭の中が整理されるからすごく良くて。その新しい感覚が加わったことによってフレッシュな作品になったというか。いろんなことがシンプルになった。あんま無理しなくても良いかなみたいな。スケートボードで無理してるから(笑)。スケートの練習で、初心者すぎて毎日大コケしてて、全身打撲で全関節痛いし、ギリギリの挑戦の連続でさ…。その勢いを反対側に使って、アコースティックピアノに向き合った静かな曲作りとか、肩の力を抜いたバンドの表現でもいろいろ成立してきてさ。力は抜けたよね。ここ数年の中で一番抜けてきたというか。

──全曲スッと身体になじむような感覚でした。

古川:あれぐらいが良いかなみたいな。前作の『Music is Love』ぐらいまではバキバキの内容にしてきたからね。けっこう頑張ってやってきたけど、そこも含めてそこまでやらなくて良いかって。やりきったかもしれないよね。この10年のバンドのグワーっとやりたかったことはWWWでやりきった感はあって。だから良かったかもしれないね、逆に。止まることがあって。たぶんあのまま止まらないで行ってたから。

──止まらなかったらどうなってたんでしょうね。

古川:止まってみるのもありなのかな? っていう。けどそこで何を自分に入れれるかじゃん。だから逆に僕は最近良かったのかなーっ思ってて。新しい興味も湧いてて。川本君ともそんな話したじゃん? スケートボードの面白い感じがうまくピアノと反映できればなって。駒沢公園で滑ってると音楽が好きな人とかもたくさんいるしさ、そういうつながりから得るものが大きくて。例えばdiaspora skateboardsってブランドの人が駒沢の近くにSHOPをオープンしてさ、そこの人たちと一緒になることが最近多々あって。diaspora skateboardsが花柄のニット作っててびっくりして。それがトッド・ラングレンのジャケットのサンプリングなのよ。そのトッド・ラングレンのアルバムは僕らもすごく影響受けてて、KONCOSのルーツでもあるのよ。それをスケートボードのブランドが取り上げてて。KID FRESINOとC.O.S.A.のアルバムでサンプリングしてる曲がそこに入ってるっていう目線もあったり。同じトッドラングレンに、ここまで違う方向から入ってくる感じが面白くて。共通するものがいろいろ交差するも部分があって、とても刺激的で。だからバンドが動いてないわりには新しい繋がりが出来て、全部フレッシュにアップデートされた。公園にいるみんなはパワーがあるから。小学生とか中学生たちとか。そのパワーをもらった感じはあるよね。

このまま世の中が拓けていったら

──歌詞に関しては変わった部分とかありますか?

佐藤:自分一人でソロ用に作ってた曲に関していうと、完全にバンドについては考えてない歌詞で。今回の『Waltz for April』、「4月のワルツ」に関していうと、バンドで作ったからやっぱバンドの歌詞として考えて作っていて。本当に4月に出来た曲なんだけど。コロナ禍で長く作り続けてきた曲で。最初は太一のピアノのフレーズがあって、揉みながら何回もスタジオでやってたんだけど、なんかしっくりこないね、っていうのをずっと繰り返しながら、やっとキタねっていう瞬間があって。それが今年の4月かな。基本的にKONCOSは曲もメロディも先にある程度作ってから歌詞は書き始めるんだけど。コロナ禍でずっと止まっててモヤモヤしてた感じと俺も太一も息子がいてちょうど今年小学校に上がる年だったんだけど気付いたらもう大きくなってて、もう小学生かみたいな。

古川:歌詞も曲も気持ちもすごい拓けてるよね。

佐藤:でもその裏で戦争とかあったり、いろんなモヤモヤがずっとあったけど、曲も出来て息子も入学して、桜咲いててとか。家の隣にでっかい公園があるんだけどその公園に行ったらちょうどめっちゃ桜咲いてて、コロナでみんなお花見とか自粛してたのが今年はすごい人が集まってて桜の木の下にブワーッとさ。それを見てやっと拓けてきてるなっていう感じがあって。それをそのまま歌詞に落とし込みたいなって思って。

古川:公園はいいよね! 僕ずっと駒沢公園にいるし、駒沢行けないときは砧のほうの大倉公園に行くんだけど。あとは若林公園とか。スケートボード+公園なんだけど公園の四季感って良くてさ。絶対家に居たくなかったここ数年間、公園にしか居なかったわけで。だから寛が言ってるその公園の感じはわかるね。だからすごい拓けてて良いなって思う。超自然でフレッシュだし、良い氣が回ってる感じの歌詞と内容というか。

佐藤:このまま世の中が拓けて行ったら良いなーって曲だね。

公園とスケートボード

──今はライブハウスより公園にいるんですね。

古川:毎日いるよ。朝から晩まで公園にいる。で、小学生と中学生と大体遊んでるから(笑)。超フレッシュでしょ? 毎日連絡し合わないでも会う友達がいて、朝にいる仲間、夜にいる仲間もいたりして、みんなに挨拶して。クラブとかライブハウスとあんまり変わらなくてさ、僕の中では。ライブハウスたまたま行くと川本君とかにうぃーっすって感じと同じで。あと子どもが出来て時間帯が変わってきてさ、深夜のライブハウスに行ける機会が減ってきたりとか。ちょっと下北から離れた所に引っ越したっていうのと、そのタイミングでコロナ禍になったっていうのもあって。そして偶然、駒沢公園が近くなったいうのもあったり。でも別にライブハウスに行きたくないとかそういうんじゃなくて。その雰囲気は失わずにいるから。本当に、1曲でも曲が出来て良かったよね。出来ないかと思ってた。コロナの中どうやって過ごしてきたかみたいなインタビューになっちゃうね。

──そうなっちゃいますよね。

古川:でもそれがちゃんと残るっていうのが重要な気がするけどね。10周年もそうだけど、まだ引きずったコロナ禍が続きそうだし。

──密が売りでしたからね、KONCOSは(笑)。

古川:そうだよ! 密が売りだったのと、人との繋がり、あとコールアンドレスポンス、全部取られて、何を考えるかだから。自分たちの大事なところ全部やめろって言われてさ、声出すな、ってさ、SHELTERでやってきたのもそういう意味じゃん。自分たちが大事にしてたアイデアを全部取られた時代。みんなそうだとは思うんだけど。音楽家とかはやっぱ考えるよね。かといって僕は静かなことがしたいわけでもないし、バンドのテンションは崩したくないしさ。文句ばっかり言ってられないし。

──毎週末いなかったわけですもんね。

古川:本当に。だって毎週末、予定全空きになるんだよ? そのときに何ができるかじゃない? このままだとさ、何もメイクしないまま終わっていきそうで、曲も作る目的もなくなって。絵を描くのもそうだけど。WWWで終わってさ。その話が。もうなんもないまま日々が過ぎていくなって思ってるときに、羽太とスケートボードだったね。僕にはできないことがあったほうがいい。いろいろ繋がったよね。だから感謝してるんだよ、公園とスケートボードと小学生と中学生に。

SHELTERにピアノを入れよう!

──今後のKONCOSは?

古川:3人でバンドやる方向で拘ってきたけど、ホーン隊とか入れて、今回はホーンアレンジして一緒に録ったんだけどやっぱホーンいるの良くて、SHELTERでライブやるときとかももっとホーン呼べたらいいなとか。なかなか予算もあるから大変なんだけど。そういうアレンジがあるライブとか。グランドピアノがあるライブとか。LOFTがグランドピアノあるライブハウス下北沢に作ってくれないかな(笑)。グランドピアノがあるバンドのセットとかって、頻繁にできないから。ピアノも始めて10年経って、やっぱりピアノって表現として素晴らしくて。だからその雰囲気を伝えられるようなライブもあっても良いのかなって、ちょっと思ってるね。ピアノの雰囲気をもう少し表現できるライブが来年は増えたら良いかなって思うけど。だからSHELTERにピアノ入れてもらって。その周りでライブやるみたいなさ(笑)。

──酒こぼされたら怖いですね(笑)。

古川:すごい怖いよね(笑)。でもずっとやりたいと思ってるんだよね、SHELTERにグランドピアノ。そんなのなかなかやってる人いないじゃん。すごい面白いと思うんだよ。なかなか実現するのは難しいけど。けど、そういうようなことを頑張ってやってみたい。僕の目標なんだよ。ちょっと調べてみて(笑)。

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