「Ethiopian Knights」(1972年、ブルーノート・レーベル) ルーツの「アフリカ」意識 平戸祐介のJAZZ COMBO・22

「Ethiopian Knights」のジャケット写真

 寒い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしですか? 今回はジャズトランペッター、ドナルド・バード(1932~2013年)が1972年に名門ブルーノート・レーベルから発表した「Ethiopian Knights」を紹介します。熱く濃いグルーヴで温まっていただけるかと思います。
 バードは55年、ニューヨークへ進出するやいなや初リーダー作品をリリース。輝かしいキャリアをスタートさせます。その後はドラムのアート・ブレイキー、サックスのジジ・グライスとの共演を経て58年には名門ブルーノート・レーベルの看板アーティストとして、また自身のバンドを結成するなど大活躍を果たしていきます。
 活動当初はモダンジャズの一種ハードバップを主体に正統派なスタイルを踏襲していました。ジャズが多様性を極めていた60年代中期からは、時代の空気感を自身のスタイルにうまく取り入れ、最先端のジャズを創造するようになります。おそらく先輩トランペッターで友人もであった帝王マイルス・デイビスの影響が非常に大きかったと思われます。事実バードは当時、デイビスの新作や活動動向を常に意識していたといいます。その一連の集大成が今回のアルバムだと思います。
 音楽的には、当時のロックの要素に自らのルーツ「アフリカ」を強烈に意識したファンク、R&Bなど黒人音楽の融合を果たしました。当時新進気鋭のアーティストであった、オルガンのジョー・サンプルを筆頭にビブラフォンのボビー・ハッチャーソン、ギターのデビッド・T・ウォーカーが参加。腰の入ったグルーヴを聴かせてくれます。バードの的確なサウンドディレクションと時代のムードが若い彼らを触発したとも言えます。
 ジャケット写真にはバードの強い決意とも取れるまなざしが光ります。タイトルも自身のルーツである「アフリカ」回帰であり、そのあたりも本作品の魅力の一つとなっています。この作品が世に出た頃は物議を醸し「商業音楽に魂を売った」とやゆされるほど問題作になりました。一方で、バードが純粋なジャズの枠に固執することなく、自らの音楽性を押し進めた点で大変画期的な作品とも言えます。
 バードは父親が牧師で、幼少期からゴスペルなどの黒人音楽に触れて育っており、当然の帰結だったのかもしれません。その後も黒人としてのアイデンティティーをますます発展させ自身のルーツをたどる旅に出ます。過去の栄光にすがることなく前に進む勇気。新年早々刺激を受けているのは私だけではないはずです。
(ジャズピアニスト、長崎市出身)

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