「元寇の解明」新たな段階に 遺物引き揚げから保存、情報発信へ 松浦・鷹島

クレーンで松浦市立埋蔵文化財センターに搬入される「いかり石」=2022年10月2日、同市鷹島町

 鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)に再び注目が集まっている。長崎県松浦市は昨年10月、元寇の遺物が数多く見つかっている鷹島沖の「鷹島海底遺跡」から元寇船の大型木製いかりを引き揚げた。作業は全国ニュースで取り上げられ、費用の一部をクラウドファンディングで募ったことも話題となった。市はいかりを保存処理し、データを収集。将来の沈没船引き揚げにつなげる。元寇の研究は遺物の発掘調査だけでなく保存活用、成果を情報発信する新しい段階に入った。

鷹島海底遺跡の歩み

 元寇は鎌倉時代の1274年の「文永の役」、81年の「弘安の役」の2度起きた。鷹島は「弘安の役」で、4400隻14万人の元の大船団が、後に“神風”と呼ばれる暴風雨で壊滅した場所だ。
 発掘調査は1980年から40年以上継続的に実施されている。琉球大の池田榮史教授(当時、現・国学院大教授)を研究代表者とするチームは2011年、15年に元軍の沈没船2隻を発見。1隻目の沈没船が見つかった海域約38万平方メートルは12年に「鷹島神崎遺跡」として水中遺跡で初めて国史跡に指定された。

松浦市立埋蔵文化財センターで、保護のため再び水中に保管されている木製いかり=2022年10月1日、同市鷹島町

 いかりは現在、鷹島の市立埋蔵文化財センターで一般公開している。全国からの見学者で、昨年11月の入館者はコロナ前の19年に比べ、2.4倍に急増。元寇への関心の高さをうかがわせた。
 だが、市が目指す沈没船引き揚げには膨大な費用がかかり、実現には国の関与が不可欠だ。市は国に「引き揚げは国主体で」と要望。九州国立博物館に水中考古学の専門組織を設け、調査研究施設を鷹島に置くよう陳情を重ねている。
 世界史上の大きな一こまである元寇。いかり引き揚げは歴史ロマンを駆り立て、水中考古学という研究分野にスポットを当てる効果もあった。


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