被爆の「語り部」映像に残す 高齢化、コロナ禍などで模索 長崎被災協

「被爆体験を語り継ぐ会」の講話の様子を撮影し、編集している長野さん=西彼時津町

 長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)は、語り部グループ「被爆体験を語り継ぐ会」の講話の様子を、ビデオ映像に残す取り組みを進めている。対面での証言活動が高齢化や新型コロナ禍の影響で難しくなりつつある中、証言映像のインターネット配信やDVD化などの新たな形を模索。年度内の公開を目指している。
■共通の思い
 同会には被爆者16人が所属し、長崎を訪れた修学旅行生らを対象に被爆体験を語ってきた。撮影は会員の長野靖男さん(79)=西彼時津町=が昨年11月に始め、現在は編集作業中。一人1時間程度で、生前の映像が見つかった故人も含め約20人分になる見込みだ。
 戦前戦中の歴史や暮らし、原爆で破壊された町の惨状、戦後の差別…。語り部によって内容はさまざまだが、長野さんは「被爆者の話を直接聞ける最後の世代の子どもたちに、核廃絶や平和への思いを引き継いでほしいという思いは共通している」と語る。一人一人を3分程度で紹介するダイジェスト版も制作中だ。
■講話1.4万件
 被災協の証言活動は、原水爆禁止運動が高まっていた1950年代後半にスタート。当初は故山口仙二さんら「長崎原爆青年乙女の会」のメンバーが中心的役割を担い、県内外の原水禁大会などで証言した。
 修学旅行生らへの講話は80年代まで年間200件以下だったが、90年代は年によっては600件を超えた。被爆50周年(95年)の大きな節目があったことが要因とみられる。急増した依頼に対応するため、99年夏に「語り継ぐ会」が発足。記録が残る80年代以降、延べ1万4千件以上の講話を続けてきた。
 近年も年間200~300件台で推移しているが、高齢になった語り部が講話直前に体調を崩し、担当者を急きょ変更する事態も。さらには2020年からの新型コロナ禍で修学旅行生向けの講話が激減する時期もあり、これらの対応が喫緊の課題となっていた。
■多くの人に
 2歳で被爆した長野さんは当時の記憶がほとんどなく、積極的に体験を語ってこなかったが、誘いを受け2年ほど前に同会に加入。語り部の中で2番目に若い。講話が難しくなりつつある先輩の姿を見る中で「元気なうちに記録を残したい」と昨夏、証言映像の保存を提案。音響や映像機器に詳しい長野さんが他の語り部の講話会場に出向き、撮影してきた。
 編集した映像は、DVDで学校や企業などに有料で貸し出したり、ユーチューブで限定公開したりして、平和学習に活用してもらうことを検討している。長野さんは「被爆者がいなくなる日が来る前に、少しでも多くの人に核廃絶の思いを引き継いでほしい」と願う。


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