「まなみです。みのりです。りさです。まなみのりさです!」
広島から生まれたアイドルグループ「まなみのりさ」は、4月に解散します。
活動開始から15年分の感謝の思いを届けるため、地元・広島で「1000人の無料ライブ」…。
ファン「3人が『楽しかったよ』って言ってもらえるのが一番の願い」
応援し続けるファンにも密着しました。
【スタジオ】
青山高治 アナウンサー(以下、青山)
「RCCラジオやイベントで本当にいろいろなお仕事を一緒にさせてもらったんですけど、歌うことが好き、踊ることが好きっていう印象の3人ですね」
小林康秀 キャスター(以下、小林)
「『まなみのりさ』について紹介しますと、2007年にPerfumeの妹分としてアクターズスクール広島からデビューした3人組のアイドルユニットです。メンバーの名前が、まなみ・みのり・りさで、『まなみのりさ』なんですが、現在、活動16年目を迎えています。去年4月、解散を発表ということになったんですけど、そんな、まなみのりさ一筋のファンに密着しました」
【VTR】
広島市に住む男性。公務員で44歳の「ムネキング」さんです。まなみのりさのファン歴は12年。グッズがあるということで、部屋を見せてくれました。
ムネキングさん「どうぞー」
記者「おおー! すごい!」
部屋には写真やキーホルダー…。ほかにもデビュー当時のCDやサイン入りのTシャツなど、思い出のものが1つひとつていねいに収められていました。ライブのあとの特典会でまなみのりさと一緒に撮ったチェキは200枚ほど。
ムネキングさん「全然ですよ。ぼくなんか全然、少ない方です…」
ムネキングさん
「誕生日のときにはこういうふうに "Happy Birthday" って書いてくれたり、歌ってくれたりするんですよ」
ムネキングさんの推しは?
部屋には名前の書かれたひときわ目立つ黄色いタオル…。
ムネキングさんの推しは、まなみさんです。
ムネキングさん
「『鼻セレブ』ってあるじゃないですか、あれをパロディ化したもので『愛(まな)セレブ』っていうティッシュなんですよ」
「ぼく的には、これが一番気に入っているグッズですかね、使えないですよね(笑)。(ベッドに横になって…)こういった感じですかね。まなみさんの目が好きですね、全体的に好きなんですけど、目が好きですね。ファンの人を一番に考えて、すごく気遣いができるとか、中身で言ったら」
ムネキングさんは、もともと飽きっぽい性格でアイドルにもハマったことはなかったといいますが、なぜ、まなみのりさに没頭したのでしょうか?
ムネキングさん
「何が大事なのかって、たとえば、まなみさんだけがそういう性格、2人がそうじゃない、だったらどうしてもちょっと心が動くんですよね。それぞれ性格が違いますけど、ぼくが求めている好きな人柄。もちろんパフォーマンスはすばらしいんですけど、それだけじゃ長く応援できないですよ」
まなみのりさには、事務所の移籍によってそれまで歌っていた曲の20曲以上が歌えなくなり、活動を休止した時期もありました。
それでも、ファンに楽しんでもらおうと新しい音楽をつくっていきながら、活動を続けました。
ムネキングさんは、解散を知ったとき、ショックよりもある思いが芽生えたといいます。
解散を知って「ショック」よりも…
ムネキングさん
「いやいや…15年よ。15年もがんばってくれたんやっていうのがあって、確かに、すごく大きい会場では見られなかったかもしれなかったですけど、3人をずっと見られたっていうのは、ある意味、ぼくは成功なんじゃないかって、ぼくの勝手な解釈なんですけど」
解散を前に、まなみのりさは、広島でチケット代が無料のライブを企画しました。
その思いに応えたファンからは、クラウドファンディングで目標の倍以上の支援が寄せられました。
ムネキングさんは、メンバーが過去にライブをした商店街や知り合いの店などを訪れ、ポスターを貼ってもらえないか直談判して回りました。今まで自分に元気をくれたまなみのりさへの恩返しだといいます。
ムネキングさん
「ぼく的には、3人が『楽しかったよ』って言ってもらえるのが一番の願いっていうか、そういう思いで気が付いたら足が動いているという…そんな感じ」
ライブ当日…。自宅でやや緊張した面持ちのムネキングさん。
ムネキングさん
「ぼくはあとは楽しみに行くだけ、見守りに行きますよ、見守りに」
妻も、ムネキングさんを後押しします。
記者
「まなみのりさ大好きの夫に声をかけるとしたら?」
ムネキングさんの妻
「後悔がないように応援がんばってください、という感じです(笑)」
記者
「好きなアイドルとか芸能人はいる?」
ムネキングさんの妻
「芸能人で好きなのは…織田裕二です(笑)」
ムネキングさん
「じゃあ行きますか、そろそろ」
会場のロビーは、ライブを支援した人たちの名前が載ったポスターやしゃもじを撮影したり、3人のパネルと記念撮影をしたりするファンでにぎわいました。
6歳のファン
「(まなみのりさが)好きです。ダンスを見るのが楽しみです」
ファン
「もう…こんな格好しているんですけど…。けっこう、胸いっぱい…」
それぞれに特別な思い出があるようです。
夫婦でファン
「結婚式に来てくれました、ライブをしてもらいました。いまも寂しいです、やめてほしくない」
アクターズスクール時代の友人
「わたしは、まなみのりさとちょうど同じときにアクターズスクール広島に通っていた。ここまでずっと続けて3人で一生懸命がんばってきたのを知っているので…、泣きそうになっちゃう。最高のステージをいつものように届けてくれたら」
そんな本番直前のまなみのりさに、ファンへの思いと意気込みを聞くことができました。
広島はわたしたちを育ててくれた…
まなみ
「15年間のはじめから地元・広島は、わたしたちを見てきて育ててくれた街なので、特別な思いはありますし、心から応援してくれる人たちがいたからこそ、わたしたちの今がある」
みのり
「ライブって楽しいんだよってことを、集まってくれたみんなに一番に感じてほしいって思いが強い。しっかり、そのためには自分たちがまずは楽しんで、楽しいパワーを届けられたら」
りさ
「アステールプラザ大ホールは、わたしたち3人がもともと、アクターズスクール広島で出会って、そのときから発表会で何度も立たせてもらったステージで、そこに3人で立てるのは夢の1つ。来てくれたみなさんと一緒に、きょう楽しかったな、来てよかったなと思ってもらえる時間を過ごしたい」
会場は、ほぼ満席となりました。ムネキングさんは「まなみさん側」だという、左側の2列目の席に座れたようです。
およそ1000人のファンの拍手が沸き起こり、ライブが始まりました。アップテンポな「ORION」が披露されると、着席していても自然と手が上がります。振りつけが定番の曲では、激しいレーザービームと炎の演出で大盛り上がり。ムネキングさんも腕を振って踊ります。
みのり
「15年続けてきていると、楽しいときばかりじゃなくて、もちろん辛いとき、苦しい時期もたくさんありました。でも、どんなときにも『おかえり』って待ってくれる広島って場所があったから、わたしたちはずっと強くいられました。最後のその日まで広島のまなみのりさとして、3人で全力で走り切ります」
まなみのりさとファンたちの15年が詰まった2時間15分のライブは、全23曲で幕を閉じました。
ムネキングさん
「きっちり泣いてしまいましたよ。ダメでしたね。抑えられんかったです」
記者
「メンバーもお見送りしていましたね」
ムネキングさん
「うれしそうな顔していましたよ。ぼくもうれしいですけど(笑)。このあとは特典会に並んで、感謝を伝えときます。並んできます。最後尾の方ですよ、今から行ったら(笑)」
【スタジオ】
青山
「みのりさんもMCの中で言われていましたけど、つらいとき、苦しいときもたくさんあって、3人で一生懸命考えて、いろいろ決断して続けてきたこの15年だったからこそ、思いがしっかりファンに届いているんでしょうね」
コメンテーター 清水浩司さん
「3人だけじゃなく、お客さん、ファンとも歩んできた15年だったんだろうなと。彼女たちの青春は、きっと見てきた人たちの青春とも重なるから、こういう時間をラストに向けて迎えられているんだろうなと、すごくジーンときました」
河村綾奈 アナウンサー
「わたしは同世代なんですが、学生時代からの15年は本当に長いし、すごいことだと思います。もちろん解散は寂しいですけど、こういう形の解散発表から最後の日を迎えられるっていうのは、ファンのみなさんにとってもアイドルのみなさんにとっても幸せなのでは」
小林
「長らくのファンの人もいれば、コロナ禍で “推し” を見つけた人もいるだろうが、総じて、推しのあるみなさんは幸せそう。また、まなみのりさの今回のライブの最後には、解散までに全国ツアーを行うことが発表されたそうです」