「なかった」の証明

 ある事柄が「ない」ことや「なかった」ことを証明するのはとても難しい作業だ。「ある」ことは、実例を一つ見つけてくれば容易に証明できるが、「ない」方の証明はそう簡単にはいかない▲何かの事柄について「ない」「なかった」と誰かが言い切るためには相当に丁寧な作業と慎重な姿勢が要求されるはずなのだ。ところが、そうした痕跡がどこにも見えない、となれば主張を否定される側の怒りや憤りは当然▲被爆地域の外で原爆に遭った「被爆体験者」の救済を巡って〈長崎にも原爆投下の後に放射性物質を含有した「黒い雨」や灰が降った〉とする県専門家会議の報告書を厚生労働省が否定した。降雨の客観的記録がない-などと同省▲まったく議論がかみ合っていない。専門家会議の側はこの報告書自体を「降雨の客観的記録」としている。しかも、報告書は被爆未指定地域での証言調査などを解析して昨年7月、新たに提出されたものだ。過去の裁判の事実認定を理由に報告書の中身を判断するのは理屈が通らない▲「私たちが言うことはうそですか」と嘆く被爆体験者の言葉が記事にあった。厚労省の姿勢は“雨”を語った証言の全てを、何の根拠もなく嘘つき呼ばわりしたに等しい▲残された時間は少ないのだ-と何度書いたら伝わるのだろう。(智)


© 株式会社長崎新聞社