三菱重工業元社長 相川賢太郎さん死去 95歳、長崎出身 

1989年5月、三菱重工業社長に内定しインタビューに答える相川賢太郎さん

 三菱重工業の長崎造船所長や社長などを歴任した相川賢太郎(あいかわ・けんたろう)さんが1月17日未明、腎不全のため自宅で死去した。95歳。長崎市出身。自宅は非公表。葬儀・告別式は近親者で行った。同社が2日発表した。
 東大工学部卒。51年に西日本重工業(現三菱重工業)入社。長崎造船所タービン設計課を振り出しにエンジニアとして各種タービン、発電プラント設計などに従事した。84年、創業以来初の地元出身者として同所長に就任。常務、副社長を経て89年から社長を6年間務めた。95年から会長、99年から相談役、2019年から21年まで名誉顧問。
 長崎造船所長当時、解体が検討された赤れんが建造物「旧木型場」を保存活用し史料館として開設。所内に現存する最古の建築物で、15年に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。
 在京の本県出身者でつくる長崎県人会の会長を1992年から2014年まで務めた。長男哲郎氏は元三菱自動車社長。


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