曽祖父の二重被爆「自分なりに伝える」 原田晋之介さん(16) 悩み葛藤も活動再び

母校で曽祖父の体験や自身の葛藤を話す原田晋之介さん=長崎市立淵中

 長崎南山高1年の原田晋之介さん(16)=長崎市=は小学5年の時、曽祖父の被爆体験を紙芝居で伝える活動を始めた。曽祖父は、広島と長崎で被爆した二重被爆者の故山口彊(つとむ)さん=享年(93)=。だがやがて、被爆4世の少年の中にある疑問が芽生える。「曽祖父のことをよく知らない自分が、体験談を使って伝えていいのか…」
 山口さんが亡くなったのは2010年1月。晋之介さんが3歳の時だった。
 山口さんは1945年8月6日、出張先の広島で被爆。やけどを負い、故郷長崎に戻った後の9日、再び原爆に遭った。90歳で語り部を始め、国内外で核兵器廃絶を訴えた。そんな曽祖父の姿を、晋之介さんは直接は知らない。
 その後、晋之介さんの母小鈴さん(48)と祖母山﨑年子さん(74)が継承活動を始めた。母の知人の勧めで晋之介さんも、曽祖父の体験を紙芝居で伝える活動に取り組んだ。
 中学生になり、晋之介さんは悩み始める。「曽祖父をよく知らないのに、活動をしていいのか」。曽祖父のかすかな記憶は一緒に散歩したり、紙飛行機で遊んだことくらい。被爆者として伝えたかったことも、苦しみも分からない。「被爆者や、被爆体験の継承者が築き上げたものに泥を塗ってしまうのではないか」。次第に紙芝居の活動から遠のいていった。

 国語の授業の課題で、平和活動をテーマにした作文を書いたことがある。原稿用紙に向かっていると、自然と自分の考えや思いを整理できた。曽祖父がたしなんでいた俳句や短歌に興味を持ち「生きていたら一緒にやってたのかな」と思った。曽祖父を身近に感じてうれしかった。
 中学3年の時、被爆者を撮影しながら体験を聞き取る「継承フォトワークショップ」に参加した。そこで出会ったのが堀田武弘さん(81)。3歳で被爆し記憶はほどんどないが、使命感を持って学び、伝える努力をしていた。
 堀田さんの経験に自身の境遇を重ね、晋之介さんはこう考えるようになる。「母や祖母のように曽祖父から体験を聞いたわけでないから、自分の言葉では話せない。でも被爆4世として努力して自信を付け、自分にしかできないことをしよう」
 曽祖父が伝えたかったことを自分なりに感じ取り、伝える。具体的にどうすればそれができるのか、答えはまだ出ない。それでも、晋之介さんはまた歩みだした。4日、母校の長崎市立淵中で全校生徒約440人を前に講演。初めて一から資料を作り、曽祖父の体験や自身の葛藤も語った。
 「今の自分があるのはきっかけを作ってくれる人がいたから。次は自分の活動が、誰かのきっかけになればと強く思っている」
 生徒たちの目を真っすぐに見つめ、晋之介さんはそう言った。


© 株式会社長崎新聞社