“二つの敗戦”が原動力 野球・宮原明弥(海星高→専大) <心新たに 2023年春・1>

4年後のプロ入りを誓う宮原。「充実した3年間だった」=長崎市、海星高

 一番の思い出は「JAPAN」のユニホームを着た世界大会ではなく、やっぱり夏の甲子園。小さいころから憧れていたマウンドは「一球一球の歓声がすごくて、今まで体験したことのないものだった」。対馬市出身で県内屈指の伝統校「Kaisei」の背番号1を勝ち取った宮原明弥は、そこで全国レベルの実力を証明し、高校日本代表入りした。
 「二つの大きな敗戦」で強くなれた。一つは2年時の夏の県大会準決勝。0-0の七回から登板して大崎に1-2で敗れた。先輩たちに申し訳なくて涙を流していたら、加藤慶二監督に一喝された。「泣くくらいなら練習しろ」
 もう一つはその秋の九州大会準々決勝。あと1勝で春の選抜出場が濃厚となる試合で有田工(佐賀)に0-2で負けた。11奪三振と好投する中、終盤に「1球の怖さ」を痛感した。また、甲子園に届かなかった。
 そしてラストチャンスとなった昨夏。同級生で同じ右腕の向井恵理登とのダブルエースとして、チームを夢舞台へ導いた。甲子園でも1回戦で日本文理(新潟)を完封し、2回戦は救援登板で天理(奈良)を撃破。3回戦で近江(滋賀)に破れたが、のちにプロ入りする選手たちを擁した3校相手に一歩も引かず、高い評価を受けた。

昨夏の全国高校選手権16強の原動力となった宮原=兵庫県西宮市、甲子園

 甲子園後の9月は20人の“高校侍ジャパン”の一員としてU18ワールドカップ(米国)3位を経験。3試合計5回で力投した。「充実した3年間だった。海星のチームメートじゃなかったら甲子園に行けていないし、切磋琢磨(せっさたくま)して成長できた。感謝したい」
 心残りがあるとすれば「やっぱり春の甲子園にも行きたかったっすね」。卒業を控え、今年の選抜出場を決めた後輩たちが、ちょっぴりうらやましそうだった。
 3年間の学びを誇りに春からは一つ上のステージに挑む。「まずは大学生の体つきになる。いずれはエースになって今度は大学日本代表に入りたい。4年後プロの目標もぶれない。それが恩返しになると思う」
 最後は制服を着て、穏やかな笑みを浮かべながらカメラに向かってシャドーピッチング。心身両面で一回りも二回りもたくましくなった少年は、島を、長崎を出て、さらに羽ばたく。

 【略歴】みやはら・はるや 対馬市出身。豊玉小1年でソフトボールを始め、三つ上の兄の高校進学を機に長崎市へ移住した。小島中から兄と同じ海星高へ入学。3年夏の甲子園で16強入りし、高校日本代表に選出された。最速150キロの直球、鋭いスライダーのコンビネーションが持ち味。好きな言葉は帽子のつばにも書いていた「常笑」。好きな食べ物は肉。憧れの選手は「人間性も完璧な」大谷翔平。182センチ、89キロ。


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