母校・早大ア式蹴球部 監督に就任 兵藤慎剛氏(37) 学生たちのため「何でもやる」

「国見時代の小嶺先生は一番大きな存在だった」と語る早大ア式蹴球部の兵藤監督=長崎市、Vスポーツベースナガサキ

 長崎市出身の元Jリーガー兵藤慎剛氏(37)が今季、母校・早大ア式蹴球部(サッカー部)の監督に就任した。国見高から早大に進んだ選手は数多いが、監督を任されるのは初めて。来年で創部100周年を迎える名門を託された若き指揮官に方針を聞いた。

 -現役引退から丸1年。地元に幼少期向けスポーツ教室を立ち上げ、出身大学のサッカー部監督も務めるなど、セカンドキャリアは「育てる」という方向に歩み始めた。
 もともと指導者に興味があって、誰に影響を受けたのかなと考えた時に、やはり国見時代の小嶺忠敏先生は一番大きな存在だった。サッカーを教えてもらったし、それ以上にサッカーで教えてもらったことがすごく多い。人格形成の大事な部分を育ててもらった。アプローチの方法は違っても、先生のように子どもたちや早稲田の学生たちの力になりたいと思った。

 -指導者として教えること自体がほぼ初めての経験となる。
 ワクワク感はすごくある。昨季の結果で関東2部に降格してしまったので、1年で1部に復帰しなければという緊張感もある。学生は覚悟を持ってやってくれている。

 -自身も都1部リーグから1年時に関東リーグ2部昇格、2年時に1部昇格、4年時は全日本大学選手権で優勝している。経験が生きるのでは。
 個々が自分と向き合いつつ、組織のためにどうあるべきか考えることが大事。まずは組織としてぶれない軸を持ち、その上で気づきや価値観を共有して同じ方向を向くことが強くなるためのポイント。試行錯誤しながら、最終的に組織が前進できるようにやっていく。

 -指導方針は。
 サッカーでも何でもそうだが、結局は自分で獲得しないと解決できないことの方が多い。答えを教えるよりも、いかに成長につながる気づきやヒントを与えられるかが僕の仕事。ある程度の時間はかかるけれど、小嶺先生は「指導者は我慢も必要」と言っていた。なるほど、同じ立場になって共感する部分がある。未熟で駆け出しで、小嶺先生の足元にも及ばないけれど、教えは身をもって学んだ。学生たちのためになるなら何でもやる。

 【略歴】ひょうどう・しんごう 茂木小、海星中を経て、国見高と早大で日本一を経験。いずれも主将を務めた。2004年日本高校選抜、05年ワールドユース日本代表、ユニバーシアード日本代表。大学卒業後は横浜Fマリノスを中心にプロで14年間活躍、21年シーズンを最後に現役引退した。


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