戦争が続く母国への思い 「厳しい復興 待っている…」 ウクライナの留学生・座談会

座談会で、被爆地長崎や母国への思いを語る(右から)ペトルシュコさん、ダニロバさん、チャイカさん、ボーダノフさん=長崎新聞社

 ロシアのウクライナ侵攻から24日で1年になるのを前に、長崎新聞社は、長崎国際大(佐世保市ハウステンボス町)に避難しているウクライナ人留学生4人を招き、長崎市茂里町の同社で座談会を開催した。長引く日本での生活や今なお戦争が続く母国への思い-。留学生らが語り合った内容を紹介する。

 -日本に来て良かったことは何か。
 ダニロバ 山々や自然の景観が美しい。日本の伝統的なものが来日前から大好きで、そういうものに触れられてうれしい。
 ペトルシュコ 受け入れてくれた人々におもてなしの心があり、遠い国なのに温かく迎えてくれた。
 ボーダノフ 何か一つを選ぶことができないほど日本は別世界。全てのことが驚きだった。
 チャイカ 安全なこと。犯罪率が非常に低く、どこかにバッグを置き忘れても心配しないでいい。

 -日本に来て困っていることは。
 ペトルシュコ 言葉の壁があるので言いたいことが伝えられなかったり、理解してもらえなかったりする。でも、それが言葉を学ぶ刺激にもなっている。
 ボーダノフ 生活様式の違い。例えば集合時間より前に到着しないといけないこと。ウクライナではその場の出たとこ勝負なところがあり、(スケジュールに関係なく)のんびりおしゃべりすることもある。決して日本を批判しているわけではなく、むしろその方が正しいと思う。
 チャイカ コミュニケーション。道を聞こうとすると、僕は日本語を話そうとしているのに「ソーリー」と言われてしまうこと。

 -長崎原爆資料館や平和公園などを訪ね、被爆地を歩いてみて何を感じたか。
 チャイカ あんなに破壊された町がこんなに美しい町になっていて、とても好きだと感じた。資料館では非常に悲劇的なことが起きた場所だと分かり、とても重い気持ちになった。
 ボーダノフ もし、ただこの町に連れてこられて「実は原爆の被害に遭ったんだよ」と言われても、そんなのうそだろうと思ったに違いない。町は完全に復興していて、草木は生い茂り教会も再建されていた。資料館で見たものと今の町の姿を結び付けるのが非常に難しく感じた。
 ペトルシュコ 復興した町は信じられない光景だった。資料館で悲劇を記憶にとどめる作業が行われていること、そして悲しい記憶をくぐり抜けて前に進んでいることが素晴らしい。1945年を長崎が、日本が乗り越えていっていることはウクライナ人にとってもうれしく感じる。これからもそうあってほしい。
 ダニロバ 平和祈念像が一歩を踏み出そうとしているように見えたのが非常に象徴的。平和のため、復興のためには前に踏み出すことが大事だと教えてくれた。資料館も素晴らしく、戦争が全ての意味において「痛み」であると理解できる。

座談会で意見を交わすウクライナの学生ら(奥)と、小野さん(画面)、小川さん(手前右)ら

 -被爆者の小川忠義さんは2012年にウクライナを訪問し、その際に撮影した写真を原爆資料館で展示している。写真展を見てどう思ったか。
 ダニロバ ウクライナに関心を持って訪問してくれたことがうれしい。旧ソ連の一部ではなく、あくまで独立した国家として立ち寄ってくれた。写真も素晴らしかった。特に場所だけでなく人々の写真が多いのが良かった。
 ペトルシュコ 懐かしさに浸ることができた。戦争前、私が子どもだった時の明るいウクライナ。今は戦争が全てを変えてしまったが、あの明るい時代を展示してくれたこと、外国でも関心を持ってくれたことに非常に感謝している。
 ボーダノフ みんなが幸せだったあの頃の写真を展示してもらい、本当に感謝している。ただ、やはり私たちの国で今戦争が起きていること、戦争は誰も必要としていないということも併せて忘れてはいけないと思っている。

 -ロシアによるウクライナ侵攻が始まって24日で1年になる。今思うことは何か。また、母国ウクライナに望むことは何か。
 ダニロバ 全ての意味においての「独立」を望んでいる。例えば「ウクライナはロシアの一部だ」という言葉さえ、もう聞きたくない。母国は今の方向性で発展していってほしいと願っている。
 チャイカ 国に残っている親戚たちには第一に健康を願っている。とにかくこの状況が一日も早く終わってほしい。
 ペトルシュコ 私たちは今日本で勉学に励む時間をいただいているが、ウクライナの将来は決して夢のような時間にはならない。戦争の「勝利」の後、さらに厳しい時間が待ち受けている。全てがばら色になるのではなく、なおさら厳しい改革と復興が待っていること、私たちは全力を尽くさねばならないことを忘れてはいけない。ちなみに、侵攻開始は2014年(ロシアがクリミア半島を強制的に併合)でもある。
 ボーダノフ (母国では)少なくとも停電が起こらないとか、もう少し快適に過ごせる日常が実現してほしい。今のところ、ウクライナではどこにいても365日爆撃の危険にさらされているようなもの。私たちが日本の方とコミュニケーションを取ることで、必要な支援につながるのではないかと思っている。もちろん、日本からの支援には本当に感謝している。

◎参加者

▽ペトルシュコ・ヴァレリアさん(20)▽ダニロバ・エリザベータさん(18)▽チャイカ・マクシムさん(18)▽ボーダノフ・ザハールさん(19)
▽進行 高橋純平・長崎大助教(座談会はロシア語と英語で、高橋助教が日本語に通訳した)。


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