北朝鮮は9年前、ひそかに拉致被害者2人の生存情報を日本に伝えていた 今も「なかったことに」 政権にとって「不都合な事実」なのか

金田龍光さん(左)と田中実さん(右)

 北朝鮮による日本人拉致被害者5人が帰国してから20年以上が過ぎた。日本政府は横田めぐみさん=失踪時(13)=ら安否不明者12人の帰国を求め続けているが、進展はない。ただ、この間、両国による水面下の協議で北朝鮮側から「重要情報」が寄せられていた。北朝鮮が入国を認めていなかった2人が「生存している」という情報だ。
 北朝鮮側が打ち明けたのは2014年。日本側に「2人は平壌で生活している」と伝え、一時帰国の案まで示した。当時の安倍晋三政権にとっても驚きの情報だった。しかし、安倍政権はこの提案を最終的に拒否する。「拉致問題の幕引きを狙う北朝鮮の謀略」と警戒したためだ。政権はその後もこの情報を伏せ続けている。なぜ「なかったことに」しているのか。2人はどんな人物だったのか。真相を追った。(共同通信編集委員=三井潔)

 

田中実さん

 ▽神戸の児童養護施設で育つ
 2人は、失踪時に28歳だった田中実さんと、3歳半年下の金田龍光さんだ。いずれも神戸市の同じ児童養護施設で育ち、店主(故人)が北朝鮮の工作員だったとされるラーメン店で一緒に働いていた。
 終戦から7年たった1952年、両親が離婚した田中さんは2歳の時に、六甲山を望む児童養護施設に預けられた。3年近く後に入所したのが在日韓国人の金田さんだった。2人は6人部屋の同室になり、寝食を共にする。田中さんが「室長」だった。金田さんは「キンタ」「キンちゃん」の愛称で親しまれ、友人は「キンタと田中さんは施設の野球部で汗を流したり、一緒に遊んだりしていて、同級生より親しかった」と振り返る。
 田中さんは「スポーツ万能」で、金田さんは「お人よしで頼まれたら断れない」(知人)性格だったという。田中さんは工業高校を卒業、金田さんは中学を卒業した後、施設を離れて職を転々とした。その間も2人の交流は続き、やがて一緒に神戸市東灘区のラーメン店で働くようになった。
 この頃、近くのすし店で話し込む2人の姿があった。会話の内容は「どちらが先にウィーンに行くか」。どういうことか。田中さんは1978年6月、成田空港からウィーンに向け出国したことが確認されている。ラーメン店主はこの時期から数年間、姿をくらましている。翌79年、田中さん名義の手紙が金田さんに届いた。文面は「オーストリアはいい所だ。仕事もあるので来ないか」。消印はウィーンだった。

2002年9月、日朝平壌宣言の署名を終え、握手する当時の小泉首相(左)と金正日総書記=平壌の百花園迎賓館(共同)

 ▽狙われた理由
 手紙を受け取った金田さんは1979年11月ごろ、筆跡に疑問を持ちながらも「東京に(渡欧のための)打ち合わせに行く」と周囲に言い残し、行方不明になった。出国記録がなかったため、警察当局は工作船で運ばれた可能性もあるとみているが、真相は未解明のままだ。金田さんは、日本政府が今も「拉致の疑いが排除できない」とされる873人(2021年11月現在)のうちの1人になっている。
 一方、田中さんの拉致はある人物の証言で発覚している。1996年末、北朝鮮の元工作員を名乗る在日朝鮮人男性(故人)が月刊誌にこう述べた。「工作員だったラーメン店主に誘い出され、ウィーン経由で連れて行かれた」。モスクワから空路で北朝鮮に連れ去られたとしている。「平壌でラジオ放送の翻訳の仕事をしている」との情報もあったが、真偽は不明だ。
 北朝鮮は2002年の日朝首脳会談以降、田中さんについて「入国を確認できない」と繰り返していたが、日本政府は05年に田中さんを拉致被害者に追加認定した。田中さんらの支援組織は、2人の拉致に関与したとして店主ら工作員2人を兵庫県警に告発。ただ、2人は関与を否定した。拉致捜査を手がけた元警察当局幹部は、田中さんと金田さんを狙った理由についてこう指摘する。「対南(韓国)工作に関わらせる目的で、身寄りがない人物を選んだ疑いがある」

 

桜を背景に撮られた寄居中の制服を着た横田めぐみさん=1977年(あさがおの会提供)

 ▽「妻子と平壌で暮らしている」
 事態が動いたのは2014年だった。2度にわたって小泉純一郎首相を平壌に迎えた金正日総書記は11年に死去し、息子の金正恩氏が後を継いでいた。北朝鮮の新体制が「日本との関係改善のシグナルを発信していた」(政府関係者)。
 実際、横田めぐみさんの娘ウンギョンさん一家と、横田滋さん=2020年に87歳で死去=と早紀江さん(87)夫妻との面会を認めた。面会は14年3月にモンゴルの首都ウランバートルで実現、5月には拉致被害者の再調査などを盛り込んだストックホルム合意に至る。
 北朝鮮が田中さんと金田さんの2人の「生存情報」を日本側に伝えたのは、この時期だ。さらに「妻子と平壌で暮らしている」「帰国の意思はない」とも付け加えた。日本側は驚き、戸惑った。北朝鮮の真意はどこにあるのか分からない。交渉経緯に詳しい日本政府関係者は当時の状況をこう明かしてくれた。「情報を小出しにして日本を揺さぶろうとしたのか、譲歩を示して支援を得ようとしたのか分からなかった」
 ただ、協議が進むにつれ、北朝鮮の真意が見えてくる。北朝鮮側は田中さんと金田さんの一時帰国を提案。さらに拉致被害者の再調査の「中間報告」として、日本側が求め続けていた田中さんらを除く横田めぐみさんら安否不明者について、改めて「死亡」と通告してきた。政府関係者によると、高官が見切りをつけた。「ずさんな報告。とても受け入れられるものではなかった」

安倍晋三氏(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(右)

 ▽安倍首相、北朝鮮の拉致再調査を「突き返せ」
 報告を聞いた安倍首相は「突き返せ」と憤った。北朝鮮が、田中さんと金田さんの一時帰国を認める見返りに、拉致問題の幕引きを図ろうとしている意図がはっきりしたためだ。協議は暗礁に乗り上げ、日本側が田中さんと金田さんの2人に会うこともなかった。
 北朝鮮はその後、ミサイル発射を繰り返し、核実験も実施した。両国関係は冷え込み、拉致被害者の再調査の中止を公式に告げ、交渉は立ち消えになった。日本政府関係者によると、トップの金正恩氏に直接つながる秘密交渉役が「体調を崩し」て連絡が途絶え、水面下の協議を支えるパイプも切れた。

 

羽田空港に到着し、政府チャーター機を降りる北朝鮮による拉致被害者の地村保志さん(手前右)、妻富貴恵さん(同中央)、蓮池薫さん(中央右)、妻祐木子さん(同左)、曽我ひとみさん(上左)=2002年10月

 ▽「成果」と言えず、情報伏せる
 田中さんと金田さんの2人の生存情報が伝えられてから9年がたつ。共同通信の報道後も日本政府は、被害者家族はもちろん日本国民にも、田中さんらの生存情報について口を閉ざしたままだ。政府関係者は「身寄りのほとんどない2人の情報だけでは政権にとって『成果』といえず、高官が『なかった』ことにした」と打ち明ける。
 政府の拉致問題のサイトには、田中さんについて「北朝鮮は入境を否定」との記述がある。貴重な生存情報は、政権にとって「不都合な事実」になってしまった。交渉が進展中だったらまだしも、既に両国間の水面下の交渉ルートが途絶えて久しい。
 小泉純一郎氏が首相として北朝鮮の平壌に飛び、金正日総書記と向き合った日朝首脳会談後、被害者5人が母国に戻ったのは2002年だ。他の被害者の帰国は、いまだに実現していない。横田めぐみさんら被害者の安否調査を巡り、真摯な対応を見せない北朝鮮の姿勢は断じて許されることではない。ただ田中さんと金田さんの「生存情報」を引き出したのは、日本にとって「成果」だったはずだ。
 帰国した蓮池薫さん(65)ら被害者5人も、当初は「一時帰国」として故郷の土を踏んだ。そもそも拉致被害者の全員の救出を目指すのが、政府の方針で、国民の願いでもある。
 国民に重要情報を知らせない姿勢を続ける政権が、北朝鮮に誠実な対応を求めるのは矛盾といえる。2人の生存情報を公開して、北朝鮮の不誠実な対応を指摘して仕切り直しすべきではないか。

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