山本透(監督) - 映画『有り、触れた、未来』生きる力を届けられる作品を

コロナ禍になり生と死について考えた

――「生きる力を届けたい」という思いから映画『有り、触れた、未来』を撮られたそうですが、その想いを描こうとしたのは何故ですか。原案『生かされて生きる-震災を語り継ぐ-』を読まれたことがキッカケなんでしょうか。

山本透:

齋藤幸男さんの書かれた『生かされて生きる-震災を語り継ぐ-』との出合いもキッカケの1つで震災後の東北が舞台になっていますが、本作は震災を描いた作品ではなく先ほどおっしゃられていた通り「生きる力を届けたい」という思いから制作をしました。そう思うようになったのはコロナ禍に起きたことの影響が大きいです。

――影響を受けた出来事というのは。

山本:

僕は20代のころ大林宣彦さんにお世話になっていたのですが、大林さんの訃報を聞いたとき「山ちゃんが3か月で死ぬと宣告されたらどんな映画を撮る」とおっしゃられていたことがフラッシュバックしたんです。

――自身を振り返るキッカケがあったんですね。

山本:

緊急事態宣言下で時間もあったので、世の中に届けたい作品を撮ろうと思い幼児虐待をテーマにした脚本を書きはじめました。

――本作のテーマとはまた違ったテーマについて取り組まれたんですね。そこから本作のテーマに繋がる作品へ変わる出来事があったのでしょうか。

山本:

コロナ禍で一緒に仕事をさせていただいた方が自殺されたという連絡があり、大変ショックを受けました。その気持ちの整理が出来ない中、僕の母親と叔父が亡くなったんです。ですが、コロナ禍で親族であっても見舞いにいくことも死に目に会うことも出来ませんでした。

――コロナ禍の影響で最後のお別れが出来ない時期もありましたね。

山本:

そういったことが連続しているなかで、僕の教え子までもが理由も分からないなか自殺をしてしまったんです。何が起きているんだと混乱しているとき、大林さんにいただいた言葉に改めて向き合おうと全方位的に命を救う生きる力を届けられる作品を作ろうと思うようになりました。

――あらたに動き出した時に何から着手されたのでしょうか。

山本:

まずは自殺について勉強しました。カウンセラーの方にも取材しましたが、難しい現実を突きつけられました。どんなにメンタルが強い人でも死にたくなることがある、鬱になってしまうことがあるんです。それは自己防衛本能の誤作動みたいなものなので、誰でも起こりうることなんです。そういう状態になっている人に「死なないでくれ、生きろ。」という言葉をかけるのは、風邪をひいている人に「熱を出すな、咳をするな。」と言っているのと何ら変わらないことなんです。

――鬱になった方に「がんばれ。」と言ってはいけないと聞いたことがあります。

山本:

どうすれば自殺を食い止めるには何ができますかと伺うと、「隣に支えてくれる人が居るか居ないかが大きいです。」を仰っていました。

――誰かがそばにいてくれるというだけで安心感が違いますからね。

山本:

支えてくれる人がいないという人も居ます。そういった人にどうすれば生きる力を届けることができるだろうかと思い悩んでいるときに『生かされて生きる-震災を語り継ぐ-』を読みました。この本は映画『有り、触れた、未来』に参加してくれている舞木ひと美さんのお父さまである齋藤幸男さんが書かれた本で、彼女から「お父さんの本を読んでください」と渡されていたんです。ただ、東北出身でもない僕が震災復興に対しての映画を撮るのはおこがましいという思いもあり、しばらく読まずに置いていました。コロナ禍になり生と死について考えた時、この本のタイトルから何が書かれているんだろうと気になり読み進めました。

――震災を取り上げるのはおこがましいという気持ちがあったということですが、どういった部分から心境の変化が生まれたのでしょうか。

山本:

この本には西野牧西高校の先生たちが如何にして子供たちを守ったかということが書かれていました。それは震災当時のことだけではなく、震災からどうやって立ち上がって進んできたかという話も書かれていたんです。その中に青い鯉のぼりプロジェクト代表の伊藤健人さんについても書かれていました。青い鯉のぼりプロジェクトとは家族を亡くした彼が弟の大好きだった鯉のぼりを瓦礫のなかから見つけ、その鯉のぼりを自宅に掲げたことから始まったプロジェクトです。そのお話しを読んで作者である斎藤先生と伊藤さんに直接話を聞きたいと思い、会いに行ったんです。

――どういったお話をさたのですか。

山本:

伊藤さんからは「10年経っても傷は癒えませんが、それでも傷と生きていくんです。このプロジェクトは鎮魂の意味でやってきました。ですが、鯉のぼりは本来、子供の健康や健やかさを願う行事です。活動開始から10年を越えた今、鯉のぼりが本来持っている未来に対して思いを繋ぐためのものにするべきじゃないかと考え始めています。」という話を伺いました。未来に向かっている、支え合って声を掛け合って前に進んでいるんだと感動しました。

――力強いお言葉ですね。

山本:

はい。僕は宮城に行くと「KIBOTCHA(キボッチャ)」という防災教育拠点に泊まります。そこはもともと野蒜小学校で、いまは改装して子供たちに命の守り方を教える施設になっています。その施設の2階には教室をぶち抜いたジャングルジムがあるのですが、それは津波からの逃げ方を疑似体験できるものになっているんです。津波が怖かったかという経験をされた方々がジャングルジムに津波を描くということに衝撃を受けました。

――被災した施設をそういった形で蘇らせるのは凄いことですね。

山本:

そこからも未来に向かっていろんなことが動いているんだなと感じました。そういった経験をしたことで、この地のエネルギーを借りれば生きる力を届ける映画を撮れるんじゃないかと思ったんです。

絶対に諦めるわけにはいかなかった

――コロナ禍に動き出すのは難しくありませんでしたか。

山本:

映画制作の話しをするとみな「コロナが終わってからにしませんか」という消極的な答えばかりでした。それだといつできるんだと思っていたなか、「山本さんが宮城で映画創るらしいよ。」と俳優たちが集まってきてくれたんです。

――それが「UNCHAIN10+1(アンチェインイレブン)」になるんですね。

山本:

最終的に「UNCHAIN10+1」は22人になり、それ以上増えてもということでストップをかけました。

――多くの賛同者がいらっしゃったんですね。

山本:

彼らの本業は俳優ですが「僕が届けたいということがあるのであれば、手伝いたい。」と言ってくれ、お金集め、みんなとロケ場所探し、オーディションの仕込みと本作を支えてくれました。

――本作について話し合われたことはあったのですか。

山本:

22人のチームとは毎日のように集まって、話しをしていきました。制作母体も何もなかったので、そうしないと前に進めなかったんです。

――そういう環境の中で進むということに怖さはありませんでしたか。

山本:

僕は道なき道を突っ走るタイプなので怖さはなかったです、絶対に何とかなると信じていました。本作には宮城の子供たちも参加してくれていますが、出演が決まった子たちが泣いて抱き合って喜んでいる姿を見ていたので、この子たちのためにも集まってくれたみんなのためにも絶対に諦めるわけにはいかなかったんです。

――制作開始を振り返って如何ですか。

山本:

制作開始から3年になりますが、僕がスタートライン立った時よりも事態が悪化している感覚があります。日本人の自殺率も急上昇しているという報道もあります。

――日本は自殺率も上がっていると言われていますね。

山本:

それでも減少傾向にあったのが、コロナを機に上がっているんです。ほかにも不登校児の数も過去最多の数が出ていて、子供たちが未来に対して希望を持ちにくい状況になっています。だからこそ、この映画をやらなければいけないとより強く思いました。

――何もできない状況になり、よくも悪くも自分と向き合う時間が出来すぎてしまいましたね。そういった中で誰にも相談できないことで負の感情に引っ張られてしまう人が増えているということですね。

山本:

だからこそカルチャーの力が必要だと感じています。みんなが下を向いたままじゃダメなんだと言いたいです。表現者たちが亡くなることが、どれだけ世の中を暗くしているかに気付かないといけない、この映画はカルチャーの力を信じて立ち上がるぞという企画なんです。

この輪をさらに広げていきたい

――「生きているだけで十分に頑張っている。」というセリフが印象的で、地震で家族を失った主人公が立ち上がっていく姿には力をいただきました。

山本:

「災害を生きる」という言葉がありますが、災害と災害の間をどう生きるかというのが大事なことなんです。このコロナ禍も災害の一種だと思っています。コロナによって子供たちは学校に通えない時期もありました、体育館を使用禁止にされることもあったそうです。友達とおしゃべりも出来ない、マスクで顔も分からない中で何をしに学校に行くんだと思いました。

――学校は勉強するだけではない、人間関係を経験する場でもありますからね。

山本:

こんな青春時代を過ごさなければいけない子たちが社会に出たときに何が起きるのかが心配でしょうありません。いま宮城県は不登校率が高いんです。子供たちが生まれたばかりのころに震災が起き、親が亡くなったり家が無くなったという人たちがたくさんいて、愛情が不足しているからだと思います。生きる力が足りなくなっているんです。

――災害にはそういったメンタル面での影響もあるんですね。

山本:

アフターコロナとなったときに、みんながもう一度有り触れたコミュニケーションをとることが出来るのかを問いたいんです。この考えに多くの方から賛同をいただけ、この輪を広げたいと世界中からこの映画に対してのご支援をいただきました。公開をキッカケとしてこの輪をさらに広げていきたいと考えています。

――その想いが「前進あるのみ」というセリフにも繋がっているんですね。

山本:

いろんな考え方がありますが「前進あるのみ」という言葉だけでは、人によっては苦しいだけになってしまいます。なので、群像劇として描いて、いろんな言葉をいろんな角度で話しています。

――私が作品から感じた以上のエネルギーが集まっているんだなとビックリしましています。

山本:

表現者としてはお客さんにどう届くかがゴールです。この映画を観て泣いて、拍手をもらい、彼らと作ってよかったなということを感じていきたいと思っています。本作を観てくれるみんなに「ありがとうございました。」と言いたいです。東京での舞台挨拶もなるべくみんなで行って、肌感でお客さんに届いていることを感じさせることで彼らが俳優としてこの先生きていく大きな糧になると信じています。

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