ゲイリー・ビッチェ(ヤジマX)- 14年近く抱き続ける亡き姉への思い、葛藤の末にロフトプラスワンウエストでのトークライブでその胸中を初めて語る

事件のことをオープンに喋ってもいいんだという空気になってくれたら

──今回のイベント出演を決めた経緯から聞かせてください。

ヤジマX:レズ風俗レズっ娘グループ代表の御坊さんから連絡をいただきまして。以前、げるしー(マーガレット廣井±ゲルシー豊田、ベルノバジャムズ、赤いくらげ etc.)というドラマーの誕生日会で御坊さんと初めてお会いしたときに、自分も酔っていたのもあって「実はうちの姉(矢島祥子)が…」と突っ込んだ話をさせてもらって、そのことを御坊さんが覚えていてくださったんです。姉の弟として大阪で毎月ビラを配っていることを定期的にツイートしていることもあり、御坊さんが企画してくださいました。とてもありがたいことです。

──こうしたトークライブに出るのは初めてですか。

ヤジマX:初めてではないです。昔、アーバンギャルドの(松永)天馬くんと一緒にトークをしてその後ライブをやるイベントを新宿のロフトプラスワンでやったことがあります。あと、池袋のアダムで毎日配信で無観客のトークライブをやっていて、それに出たこともありました。でもトークライブはあまり出たことがないし、事件について語るトークライブはこれが初めてです。

──モーモールルギャバンのファンの方には、事件のことは知れ渡っているんですか。

ヤジマX:事務所に所属していた頃は知ってて知らないフリをするみたいな空気があったのが個人的に気持ち悪かったんですけど、事務所はもう抜けているので。今は毎月ビラ配りをしていることを自分のメインのアカウントでツイートするようになりましたが、それをどう手伝えばいいのか、どう共有すればいいのかよく分からないって雰囲気がファンの中にあるのかな? とは感じています。今回、こうしたイベントをやることでファンの人たちが事件について共有しやすくなればいいなというか、このことをオープンに喋ってもいいんだという空気になってくれたらいいなと思いますね。

──モーモールルギャバンがデビューアルバム『野口、久津川で爆死』をリリースした直後に事件が起きたんですよね。

ヤジマX:はい、まさにあのタイミングで。

──その頃は事件のことを公にはできなかったんですか。

ヤジマX:自分のアカウントからの発信は全くしませんでしたけど、テレビの取材がよく来たんです。その取材は事務所に確認することなく受けていました。

──事務所からは事件のことをあまり公言しないようにと言われていたんですか。

ヤジマX:そういうことは一切ありませんでした。姉が亡くなったときも供花を贈っていただきましたし、とても良い事務所でしたから。

──ただ、お祭り騒ぎの異形バンドというイメージと事件とのギャップが拭えないところはありましたよね。

ヤジマX:当時、あの事件がお客さんにどう見えていたのかは分かりませんけど、2ちゃんねるのモーモールルギャバン スレッドでは「この件に関しては触れないほうがいいよな」みたいな流れにはなっていましたね。

──そうした公然の秘密みたいな空気を変えたいと思ったのはいつ頃からですか。

ヤジマX:やっぱり事務所がなくなってからですかね。ゲイリー・ビッチェ(ヤジマX)というTwitterアカウントで気兼ねなく発信できるようになってから、自分が毎月大阪でビラ配りをしていることも伝えられるようになったので。まあ、そうした変化は全然最近の話なんですけど。

──何か具体的なアクションを起こすにも、この3年はコロナ禍もありましたしね。

ヤジマX:でも僕はコロナがしんどい時期でも空気を読まず、めちゃめちゃライブをやっていたんです。地方は全然行ける雰囲気じゃなかったけど、東京、名古屋、大阪、北海道を主にまわりました。その勢いの流れで「ビラを配っているので手伝ってください」というツイートをしていましたね。

▲兄(矢島敏)と共に演奏

──事件解決に向けたアクションとして、他にどんなことをされているんですか。

ヤジマX:僕個人としての活動は毎月、姉の命日である14日にビラを配るのがメインなんですが、兄(矢島敏)が最近、「さっちゃんの聴診器」というCDを出したんです。事件のことを知った作詞家のもず唱平先生(「釜ケ崎人情」などのヒット曲で知られる)が姉に捧げる追悼歌を出さないかと兄に提案してくださったみたいで。もず先生の歌詞に兄が曲を付けて、もず先生の弟子の高橋樺子さんが唄う歌なんです。

──お兄さんもミュージシャンなんですね。

ヤジマX:そうなんです。そもそも僕は兄の影響で音楽を始めたんですよ。

毎月西成に行くことでエネルギーをもらえている

──現状、捜査の進展は?

ヤジマX:残念ながら進展は見られないですね。

──物的証拠や目撃者の情報に乏しいと?

ヤジマX:と言うよりも、凄く大雑把に言えば、警察が手を出せないくらい大きな話なんです。

── 一部のメディアでは、お姉さんが貧困ビジネスの闇に触れてしまったと報道していましたが。

ヤジマX:姉は貧困ビジネスの闇を暴いてメディアの記者に告発しようとしていたんです。それが誰かの逆鱗に触れてしまったのかなと…。海外では臓器売買の話をよく聞くけど、日本でもそんなことが起こるんだなと思いましたね。たとえば西成の労働者の方は手術を受けさせられて、退院したら臓器がなくなっていたというのがよくある話らしいんですよ。姉が何を告発しようとしていたのか、具体的なことはよく分かりませんけど、釜ケ崎の診療所で働いていたから日常的にそういう出来事を知ってしまう機会があったのかなと思います。覚醒剤の売人と小競り合いになっていたという話も聞きましたし。

──そこまでの情報があるにもかかわらず捜査の深入りができないというのは、それほど闇が深いということですね。

ヤジマX:貧困ビジネスを生業にするのは、いわゆる反社会的勢力の人たちだけじゃないんです。労働者の生活保護が回り回って、それで生計を立てている人はいっぱいいるので。そうした秩序を乱してしまうと、路頭に迷う人が増えてしまう。おそらくそうした話だと思うんですけどね。

ケチャップ河合:当日の司会進行を務める身として、ヤジマさんと御坊さんに伺いたいことがあります。今回のイベントを開催することで目指すゴールとは何ですか。これをきっかけに何かアクションを起こすのか、事件の真相に向かっていきたいのか。また、御坊さんはどういう意図でこのイベントを企画したんですか。

御坊:僕はヤジマさんからお姉さんのことを聞いて、事件の真相に繋げたいというのが個人的な思いです。イベントを行なうことで事件のことをもっと広め、真相を究明していくことができるんじゃないかと。トークイベントには情報を発信していける強みがありますし。これまで事件にまつわるイベント発信をやったことがなかったとヤジマさんから伺い、ぜひやりませんかと企画立案した次第です。

ケチャップ河合:イベントをやることで話題となり、興味を持つ人が増えることで真相に近づくことが一番の目的であると。ヤジマさんも同意見ですか。

ヤジマX:そうですね。あと最近、YouTuberの皆さんのおかげでこの事件の風向きが変わりつつあるのを肌で感じているんです。ここ2、3年の流れとしてYouTuberの皆さんが事件を取り上げてくださって、西成警察署の皆さんも「矢島家の人間はあまり雑に扱えないぞ」という空気になってきたし、その空気に乗っかるじゃないですけど、身内の人間が矢面に立って言葉を発していくのがやはり大事なんじゃないかと。ウチの兄はずっとやってきたことですけど、僕はその辺のことをサボって兄に任せきりだったので、自分でもできることをやっていきたいと考えていた頃に御坊さんからイベントの提案をいただいたんです。

ケチャップ河合:今なら闘えると?

ヤジマX:闘えるとは思ってないです、正直なところ。ただ、僕らの言葉を発信していくことで「この事件の親族はこういうことを考えているんだ」と少しでも多くの人に知ってもらいたい。年間100本のライブをやり続けている身として、目の前の人に何かを届ける、伝えることを地道にやってきたわけだし、この事件のことも地道に伝えていきたいんです。そのきっかけを与えてくださった御坊さんにはとても感謝していますし、今回のイベントも自分にできることは精一杯やりたいと思っています。

▲月一のビラ配りは今なお欠かさず行なっている

──事件から14年近くが経過して、経年による風化もあれば、事件を知らない若い世代もいらっしゃるでしょうし、まずは事件のことを知ってもらうことで少しでも状況を変えていくことがイベントを開催する意義と言えますね。毎月ビラ配りをすることで、この事件を風化させてはいけないという気持ちが年々高まっているものですか。

ヤジマX:毎月西成に行くことで、支援してくださる方々からエネルギーをもらえています。家族の気持ちが折れたり諦めそうになると「諦めたらあかんよ」と言ってくれる人がいっぱいいるし、毎月励ましてもらっている感覚がありますね。

──ヤジマさんはお兄さんのように、お姉さんに捧げる歌を作ったりは?

ヤジマX:実は、メジャーデビューしてからのファーストシングル「Good Bye Thank You」(2011年12月発表)は姉に捧げた曲なんです。一切公言はしていませんけどね。その「Good Bye Thank You」はミュージックビデオも撮ったんですけど、当時在籍していたビクターの方針でYouTubeで公開されてないんですよ。メジャーデビュー一発目のシングルなのに(笑)。カラオケには入ってるんですけど、ウチのファンのあいだでも知る人ぞ知る曲扱いになっちゃって。

──2011年と言えば、メジャーレーベルがYouTubeを宣材として捉える直前の過渡期でしたからね。ビクターもソニーもYouTubeに対して懐疑的だったのを覚えています。

ヤジマX:2012年くらいまではそんな感じでしたよね。だからそれ以降、ビクターからデビューしてミュージックビデオをがんがんYouTubeにアップしているバンドを見ると、メジャーデビューするタイミングが良かったねと凄く思います。

事件の真相に近づきたい、その決意表明の場

──群馬県出身のヤジマさんが同志社大学に進学した流れで関西でバンドを始め、今はお姉さんが勤務されていた西成に毎月出向くなど、関西圏とはよほど縁があるんでしょうね。

ヤジマX:姉は昔からよく海外へ行っていたんです。ネパールとかインドとか、貧困支援のために医者としての自分の腕を活かしたいということで。当初はそうした海外で活動するつもりだったのが、西成という差別や貧困が横行した地域を知り、自分はここで頑張らなくちゃいけないと思ったみたいです。

──ご両親も医師なんですよね。

ヤジマX:はい。

──お姉さんは昔から弱者の傍に寄り添うような、正義感の強い方だったんですか。

ヤジマX:正義感はめちゃめちゃ強かったですね。中学生のとき、同級生をいじめた先生に対して猛烈に抗議したという話も聞きましたし。

──ヤジマさんがお姉さんから影響を受けたところはありますか。

ヤジマX:どうだろう。医者になるくらいだから勉強が凄くできたので、勉強はよく教わりましたけどね。僕にとってはとても優しい姉でした。モーモールルギャバンのライブにもよく来てくれましたし。僕らのライブを見ると元気が出ると言ってくれました。

──お姉さんから言われたことでよく覚えている言葉はありますか。

ヤジマX:「剛、息がくさいよ」って(笑)。中学2年とか一番多感な時期に言われたので、それから念入りに歯を磨くようになりました(笑)。僕にとっては母親に近いというか、特に何も言わずに見守っていてくれる、ただただ優しい姉でした。関西で活動していたので時間があればライブを見に来てくれたし、差し入れをくれたり、たまに小遣いをくれたりして。僕が26、7の頃かな。バンドが忙しくなってきつつ、でもバイトしないと生活ができなかった頃。

──お姉さんの晩年にやり取りしたことでよく覚えていることは?

ヤジマX:ちょくちょく会ってましたからね。あとで出てきた手帳を見たら、あの頃はこんな大変な状況だったんだ…と思ったりもしました。姉が亡くなった後に知って凄いびっくりしたことが多々ありました。弟には心配をかけたくなかったからなのか、大変な素振りは一切見せなかったんです。でも、手帳に「私は殺されるかもしれない」くらいのことを書いていたし、身の危険を感じていたようです。

▲大阪市西成区の木津川、千本松渡船場にて

──イベント当日は毎月配布されているビラも設置されるそうですが、どんな内容なんですか。

ヤジマX:毎月中身を変えていて、事件に対して思いのある人にいろいろと自由に書いてもらっています。

──モーモールルギャバンのファンの人たちもビラ配りの手伝いをされているんですか。

ヤジマX:たまに手伝ってくれる人もいますけど、基本的にウチのバンドのファンは触れちゃいけないことなのかな…みたいな雰囲気が未だにあります。ただ年に一度、姉の月命日の週の土日のどちらかに『さっちゃんの集い』という催しをやっていて、そこにファンの方が来てくださることはありますね。

御坊:そういう催しやビラ配りもそうだし、こうしてイベントを開くことで僕みたいに事件に関心を持つ人が増えると思うんです。ヤジマさんの力になりたいという人が増えて、多くの人が事件を知れば状況が変わるはずですよね。

ヤジマX:とてもありがたいことです。さっきも話しましたけど、YouTuberの方々が事件について触れてくださることで風向きも変わりつつありますし。

──YouTubeというメディアにはつくづく翻弄されてしまいますね。

ヤジマX:はい、非常に振り回されてます(笑)。

──肝心の音楽活動についても聞かせてください。コロナ禍が今より深刻だった頃からツアーをやり続けていたということは、ここ数年もずっと通常運転だったということですか。

ヤジマX:それでも地方には行けなかったので、通常運転というか、逆に意地になっていた部分もありますね。今はやっとマスク着用なら声出しもOKになりましたが、通常運転に戻りつつあるちょっと前の段階なんだろうな、という認識です。ただ、もともとライブハウスへ来ていた人たちが完全に戻ってきている感じはしませんね。とは言え止まってもいられないし、今年はモーモールルギャバンとしても動きたいとは思っています。おそらく年末になってしまうでしょうけど。

──ロフトプラスワンウエストへお越しくださる方々、このインタビューを読んで事件に関心を持った方々へ最後に一言いただけますか。

ヤジマX:モーモールルギャバンのゲイリー・ビッチェ(ヤジマX)という生き方をしてきた上で、この事件について触れるべきなのか、触れないべきなのか、ずっと手探りしながら今日に至るわけですが、矢島剛という一個人としては、「パンティー泥棒の唄」を唄うのなら(「お姉さん 貴女に興味はないけれど/僕に貴女のパンティーをください」という歌詞がある)姉が亡くなったという事実もありのままに晒していきたい、事件の真相に近づきたいという思いがあるんです。そうした事実のすべてを押し付けるみたいで申し訳ない気持ちもありますけど、よろしければ今回のイベントを通じて事件に関心を持っていただけたら嬉しいです。2009年11月から14年近く、遺族はこの理不尽な出来事と向き合わざるを得なかった流れの中で生きてきて、何が正しくて何が間違っているかは全然分かりませんが、こんな人間ですけれどもよろしければ応援していただければ嬉しいです。そんな思いをこれからもっと出していける決意表明の場を与えてくださった御坊さんを始め、ロフトプラスワンウエストの皆さんに感謝しています。どうかよろしくお願いいたします。

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