前畑弾薬庫の移転・返還 合意から10年超 進展なし 日米協議中 「本気度」疑う声

入り江に面して施設が並ぶ前畑弾薬庫。近くには住宅地(写真下方)が広がる=2010年11月17日撮影

 長崎県佐世保市にある米軍の佐世保弾薬補給所(前畑弾薬庫)を針尾島弾薬集積所(針尾弾薬庫)へ移転、集約し、跡地を返還する事業は2011年の日米合同委員会で正式合意した。以来、10年以上が経過しているが、着工時期などはいまだに示されていない。住民からは事業への「本気度」を疑う声も出ている。なぜ進まないのか、弾薬庫移転の現状を探った。

 佐世保市中心部からほど近い天神公園。先月、訪れると、ウオーキングをする人々の姿がみられた。公園は住宅地のそばにあり、地域の憩いの場となっているが、園の奥の林との境には柵が張り巡らされ「警告 米海軍基地立ち入り禁止区域」といった言葉が目に飛び込んでくる。柵の向こう側は前畑弾薬庫の敷地だ。
 前畑弾薬庫は旧日本海軍が建造。戦後、連合国軍が接収し、その後、米軍が使用を開始した。土地面積58万2098平方メートル、トンネンル式が12棟、建造物式が22棟(事務所含む)ある。港のすみ分けや産業振興、近隣に住宅地が迫ってきたことから市などが移転・返還を求めてきた。移転集約事業は、針尾弾薬庫(土地面積129万7173平方メートル)に面した湾の一つを埋め立て、前畑弾薬庫の機能を移設する。

天神公園の奥の林との境には柵が張り巡らされ立ち入りを禁止する看板が目に入ってくる=佐世保市

 これまで安全性の確保や建設予定地の土質調査といった各種調査、工事用道路の基本設計を実施。しかし移設後の施設配置に関しては、09年度から日米で協議しているが、決定しておらず、着工時期などは不明。防衛省は「移設配置に係る日米協議を実施中」と説明するのみだ。
 移転・返還について日米で基本合意した07年6月、佐世保市議会全員協議会に防衛施設庁(当時)の担当者が出席。「個人的な目算」とした上で、「調査で3年、環境影響評価で3年。実際に工事が始まるまでに6、7年はかかる。工事は約10年かかるのではないか。金額は1千億円はかかるだろう」などと述べ、調査開始から完成まで約20年かかるとの見通しを示した。ただ、いつ開始するのかについては触れなかった。
◆    ◆
 基本合意後、市と国はすべての移転関係先の地域などから同意を得て、11年の正式合意につなげた。目立った進展がない状況に、移転を受け入れた江上、針尾地区の住民からは「進まないなら持ってこなくてもいい」「受け入れ白紙を表明しよう」と厳しい声も出ている。
 ただ、年月の経過で住民の関心が薄らぎつつあるのも事実だ。ある住民は「(そもそも)事業が進まないと(住民間で)話題に出ない」と漏らす。若い世代に話を聞くと、弾薬庫の存在は認識しているが、移転・集約については「知らなかった」と驚いた様子。ロシアによるウクライナ侵攻といった安全保障環境の変化を受け「有事の時は弾薬庫が狙われる可能性もある」と不安をのぞかせる。
 移設配置について安全性などの観点から日米で協議しているとみられ、防衛省関係者は「米側の要望を丸のみはできない。(決まるまで)どうしても時間はかかる」と言う。防衛施設という性質上、情報管理は必要だが「言える範囲で『どういうふうに協議をしているか』をもっと地元に説明した方がいい」との指摘も省内にはある。
 一方、前畑弾薬庫周辺の住民は「それは移転してもらった方がいい」と話す。そして「長らく身近で戦争が起きていないので(弾薬庫の存在を)怖いと思ったことはない。動く(移転)のを待つしかないね」と続けた。

位置関係

◆    ◆
 米軍は現状をどう認識しているのか。市は米軍幹部の表敬訪問を受けた際、この話題に触れてきた。22年3月末に在日米海軍の司令官が朝長則男市長を表敬したときにも言及。冒頭を除き非公開だったが市によると司令官は「私からも在日米軍へ外務省に働きかけるよう伝える。米側にも非常に便益があり、市民にもいい話」としながらも、移設スケジュールについては「日本政府の管轄」などと述べたという。
 政財界からは「佐世保市の要望」という事業の性質から「米側にとって急ぐ必要性はないのではないか」との見方も出ている。
 移転・返還を巡っては、前市長の光武顕氏と防衛庁長官などを歴任した久間章生氏が政治で道筋をつけた。ある市議は「久間さんがいたならば(事業は)もっと進んでいただろう。現状では情報を取れる、前進させられる人はいない」とため息をつく。
 米軍の動向を長年監視しているリムピース編集委員の篠崎正人氏は、冷戦終結という安保環境の変化により「米側は前畑弾薬庫をこれから維持していくのか、どういうふうに運用していくのか揺らいでいた。だから移転・返還に同意した」と分析。だが、国際情勢の変化は続き「具体的にどう運用していきたいか、どういう施設にしたいのか。そこが未定のまま今に至っているのでは」とみる。

前畑弾薬庫の移転先となっている針尾弾薬庫=佐世保市

◆    ◆
 市は前畑弾薬庫の跡地について既に「自然・歴史的資源を生かした交流拠点」と「産業活性化・雇用創出拠点」の二つの利用構想をまとめている。返還の見通しが立った時点で、社会経済情勢を踏まえて一つに絞る考えだ。
 国際関係・安全保障が専門で在日米軍基地の変遷に詳しい、東京工業大リベラルアーツ研究教育院の川名晋史准教授は「決定的な資料がなく断定的なことは言えない」と前置きした上で「日本政府は、返還後の(跡地について)自衛隊への使用転換を考えているのではないか」と推察。
 在日米軍基地返還の歴史を振り返り「地理的に重要な場所にある基地はいずれも返還後に自衛隊に引き継がれている」と指摘する。
 跡地の自衛隊利用については、佐世保の経済関係者の1人も「自衛隊施設として使うのならば、国も乗りやすい」と持論を展開する。
 港のすみ分けは佐世保の悲願。ある市議は「前畑弾薬庫の移転返還は(すみ分けの)第1弾。これを一定整理しないと次の段階に進めない」と話す。


© 株式会社長崎新聞社