“因縁”のユニホームで息子出場 長崎日大・松本選手の父 成親さん

自らが逃した甲子園出場を息子が叶えた松本成親さん(左)と、親子続けての大舞台をかみしめたOBの城島慶介さん=甲子園

 長崎日大の6番・右翼でスタメン出場した松本健人の父の成親さんは、30年前の夏の県大会決勝で長崎日大に惜敗した波佐見の元球児。自らが立てなかった夢舞台に“因縁”のユニホームを着て臨んだ息子を「悔しい負け方だったけれど、頼もしいチームだった。堂々と全力プレーを見せてくれたことが一番うれしい」とねぎらった。
 波佐見と長崎日大、互いに初優勝が懸かった1993年夏、4-3の九回2死二、三塁。あとアウト一つで甲子園という場面で、右翼を守る成親さんに打球が飛んできた。「無理に飛びついて届かなかった。ボールが落ちた瞬間、目の前が真っ白に」。痛恨の逆転サヨナラ負けだった。
 「今でも悔しい。この年になってもその話題でいじられるのはうれしいけれど…。高校野球のおかげで大人に近づけた」
 時を経て、息子が選んだ高校はまさかの長崎日大。「当然、波佐見に行くと思っていたから複雑だったが、本人の意志。応援すると決めた」。その息子は部内競争を勝ち抜いて打線の中軸に成長。くしくも守備位置は自分と同じ右翼だった。「運命っちゃ運命。重なるところがあるね」
 この日、七回に安打性の打球に息子が突っ込む場面があった。1点こそ失ったものの、大量失点につながりかねないボールをワンバウンドでグラブに収めた。父は「おやじのことを知っているからこその冷静な対応だったと思う」と笑った。
 アルプスには背番号14の城島慶太郎の父で、30年前のこの舞台にスタメンで出場した長崎日大OBの慶介さんの姿も。九回2死一塁で代打出場して左飛に倒れた息子ら後輩たちに「まだ何かが足りないということ。夏はさらに簡単にはいかない。1球の重みを大切に」とエールを送った。
 松本も城島も4月からは3年生になる。「父がたまにくれるヒントがきっかけで良くなることがある。夏こそ甲子園で勝って恩返しを」(松本)、「父は一番信頼している人。1打席で結果を残すことを意識してやっていく」(城島)。親子で完全燃焼を誓う日々が、きょうからまた、始まった。


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