“長崎への思い”に感謝 『周作クラブ長崎』 記念ミサ開催へ奔走 <遠藤周作生誕100年①>

出津教会でミサの事前準備を進める高尾さん(左端)ら周作クラブ長崎の会員=長崎市西出津町

 長崎を舞台にした代表作「沈黙」で知られる作家の遠藤周作は1923年3月27日生まれ、今年は生誕100年となる。カトリック信者で、キリスト教を題材にした数多くの名作を世に出した。長崎はたびたび作品の舞台となり、取材などで何度も訪れた長崎を「心の故郷」と呼んだ。96年9月に73歳で死去。没後27年たっても脈々と息づく遠藤と長崎との「縁」をたどりながら、遠藤が今にのこしたものとは何かを考えた。
 「お二人の遺影をここに置いて、花は先生が好きだったピンクにしましょう」。18日午前、長崎市外海地区の出津教会で「周作クラブ長崎」(高尾直子代表世話人)の会員数人が、27日に開く生誕100年記念ミサの事前準備に追われていた。
 「沈黙」の舞台で、遠藤周作文学館もある同地区。ミサは遠藤と親交のあった人や熱心なファンでつくるクラブが、縁の深い場所で節目の日に計画した。県内で同様のミサは2000年にあった浦上天主堂での追悼ミサ、06年の大浦天主堂での没後10年ミサに続き3度目となる。
 周作クラブ長崎は、00年結成された「周作クラブ」(東京)の地方支部として01年発足。現在約60人で活動を続けている。当初から代表を務める高尾さんは00年のミサ開催に携わり、遠藤の妻順子さん(21年、93歳で死去)と知り合った。クラブの発足には「縁の深い長崎につくってほしい」という順子さんの強い希望が背景にあったという。
 「長崎に来られるたびに、ご一緒した。五島にも一緒に行って教会を巡った」。高尾さんは順子さんの思い出を懐かしそうに振り返る。
 会員の遠藤への思いは深い。同市西出津町の東フミ子さん(84)は1999年の定年まで、大阪市で保育士として勤務した後、奈良県に移住。2005年、遠藤周作文学館を旅行で訪れて外海の自然に魅了された。程なく外海に移り住み、クラブに加わった。「夕日の美しさを見て、ここだと思った。遠藤さんは尊敬する人。まるで生きている人のように近くに感じる」
 読書会や、有志で作品の舞台を訪ねる「周作塾」など、周作クラブ長崎は発足から20年以上たった今も活発。高尾さんは「原動力は遠藤作品の持つ力」と話す。
 出津教会でのミサは「遠藤周作とすべてのキリシタンのためのミサ」と題して行われる。当日は遠藤と順子さんの遺影が飾られ、遠藤家の人々も参列する。「お二人に『長崎を愛してくださってありがとう』と感謝したい」。高尾さんは万感の思いを込めて、こう語った。


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