選挙の思い出 4年に1度のお祭り 町議の父 支えた母 2人は誇り

応援演説を聞く有権者ら=3月31日、諫早市内(写真はイメージ)

 「父の選挙カーは軽トラ。こっそり乗り込んだりして子どものころは4年に1度のお祭りのような気分でした」。長崎市の会社員、川尻瑠美さん(53)の父親は、川尻さんが生まれた翌年から西彼時津町議を9期36年務めた。
 選挙期間中は自宅が事務所になり、多くの人が出たり入ったり。選挙カーから響く父親の名前が学校の教室まで聞こえてくることもあった。「同級生にくすくす笑われたこともありました」と当時を懐かしむ。「町民の立場を貫き通した父親、それを支え続けた母親は誇りです」
◆ ◆ ◆
 長崎県議選は9日に投開票日を迎え、県内では統一地方選の第2弾となる4市町長選や8市町議選も間もなく告示される。長崎新聞社が情報窓口「ナガサキポスト」のLINE(ライン)で選挙の思い出を聞くと、95件の投稿が寄せられた。その多くが、それぞれの立場で印象的な場面を通して選挙の身近さや魅力を伝える内容だった。一部を紹介する。

 ■洗濯物が人に
 何回かうぐいす嬢を致しました。選挙カーの窓から、候補者を応援していただいている方々を見逃さないように探し、「お車の中から」「ご自宅から」「沿道から」など、できる限り全ての方へお返事をしたいと思って気を張っています。そのせいで、時々、風で揺れた洗濯物や、雨や朝露が太陽に照らされて水滴が動いただけの岩なども、全部が応援してくれている「人」に見えてしまい、「ありがとうございます!」と言い、笑ってしまいそうになることもありました。(松浦市・50代女性・会社員)

 ■吟味した公報
 大叔父が町議会議員でした。選挙の時期になると親戚や近所の人が集まって大騒ぎ。子どもたちは放置で子ども同士で大騒ぎ。母はうぐいす嬢をしていて、選挙カーに向かって手を振るのがうれしくて楽しくて。当選したらみんなで万歳して、だるまに目を足して。あれは町中のお祭りだったなぁ。とっても楽しかった。私は20歳になるのが楽しみだったし、1人暮らしで誰に入れたらいいか分からない時、選挙公報を吟味した。選挙が好きで投票が当たり前の環境で育ってきたから。(東彼杵町・40代女性・自営業)

 ■帰りに映画も
 大学の寮で「選挙があるね!」と1人盛り上がっていたのですが、周りは全く興味なし。そんな中、先輩が一緒に投票に行ってくれ、帰りに一緒に映画も見てくれてとても楽しかったのを覚えています。帰ってほかの寮生に「選挙に行ってきた」とちょっと誇らしげだった先輩にもキュンとしました。(長崎市・20代・学生)

 ■祖父の姿見て
 亡くなった祖父が、どんなことがあっても必ず投票に行く人だった。熱があってもけがをしていても、大雨でもなんでも、歩いて15分くらいかかる投票所へ行っていた。幼い頃からその姿を見ていたので、選挙になるといつもそのことを思い出す。私も選挙権を得て20年以上たったが、1度も投票を欠かしたことがないのは、祖父の姿を見ていたからだと思う。(長崎市・40代女性・公務員)

 ■事務所で飲食
 祖父が町議でしたので、4年に1度のお祭りでした。たくさんの人が出入りしてワイワイガヤガヤして、ジュースもお菓子も食べ放題。昔は選挙事務所での飲食(酒)が普通でした。飲み加勢、食べ加勢も加勢のうちと言って選挙事務所を渡り歩くつわものがたくさんいました。乳飲み子の私の子守がいなくて、仕方なく選挙カーに乗せていたら警察から注意されたそうです。選挙は負け知らずの祖父でした。(佐世保市・40代男性・会社員)

 ■「人には秘密」
 子どもの頃から、選挙の時は両親に連れられて投票所に行ってました。ある時、投票所を出た父が母に「誰に入れた?」と聞きました。その途端母が「誰に入れたかは、夫婦でも言わんちゃよかと!」と、一喝。普段は父に口答えすることがない母なので、心底驚き「誰に投票したかは他の人には秘密なんだ」と、あれから40年以上が過ぎても選挙のたびに思い出します。(西海市・50代女性・公務員)

迅速かつ丁寧に進められる開票作業=2022年7月、長崎市民会館

 ■バイトが修行
 20歳になった時、「立会人のバイトをしませんか」というお知らせが届き記念にと思い、自宅近くの投票所でバイトをしたことが思い出に残っている。一日中ただただ座って不正がないよう投票するのを見届けるという修行のような1日だった。(長崎市・40代女性・会社員)

 ■対抗馬に感謝
 私の亡き父は過去に県知事選、衆議院選に立候補したことがある。衆議院選挙の時の対抗馬は小中高の同級生で親友だったそうだ。思想信条は違っても友情は生きていた。立会演説会の旧県庁前で2人は偶然かち合ってしまった。対抗馬と父はお互い正々堂々頑張ろうと握手を交わし、対抗馬の方がその場を譲ってくださったそうだ。父は大変感謝していた。(長崎市・50代男性・福祉ボランティア)

 ■いろんな経験
 選挙に初めて携わったのが24歳。長女がおなかにいる時。それから36年ずっと携わっています。いろんな経験をしました。ある候補者の時、途中で確定(当選確実)が出たので万歳をしたら直後に確定ではなくなり結局落選。なのでちゃんと票が確実に近い状態で出るまで信用しません! これは苦い経験。候補者が捕まって、お手伝いをした私たちも警察に呼ばれ事情聴取。言ってもいないことを調書に書かれ「いやいやそんな風には言ってない! 私が言った通りに書いてくれ」と書き直しをこちらからお願いし警察に不信感を抱いたこと。これも苦い経験。(大村市・60代女性・自営業)

 ■親子で一緒に
 小学生の頃から両親と投票所に足を運んでいたが、当時は投票所内に入るのは禁止だったので、外で待っていた。今年5歳になる娘がいる。生まれてから何回か選挙があったが、全部連れて行っている。今回ももちろん一緒に行く。娘が18歳になったら親子で投票しに行きたいなと思う。(長崎市・30代女性・会社員)

 ■お赤飯を炊く
 私の両親は料理店を営んでおりました。選挙になると、候補者の事務所にお弁当を届けていました。選挙の当日は当選することを祈りながらお赤飯を炊き、当選確実の連絡が入ると、重箱に詰めて大急ぎで届けていました。選挙と言えば、お赤飯ですね!(長崎市・60代女性・自営業)

 ■父とペタペタ
 私が小学生の頃、父と2人で晩ごはんを食べた後にポスターを抱えてあちこち貼って回っていました。今では考えられませんが、木の電柱にペタペタ貼り、公民館の立会演説会にも連れて行かれたりと選挙権もない頃から関わっていました。(長崎市・60代女性・専業主婦)

 ■告示前に練習
 親友の父親が市議会議員に出馬することになり選挙カーに乗ることになってしまいました。生まれて初めてのことで、何をどう言ったらいいのか分からないし、緊張してうまく言えないので、告示前の1週間、仕事終わりにアナウンス係全員カラオケボックスに通い練習したのがいい思い出です。(島原市・60代男性・農業)

 ■天国と地獄!
 近い親戚に現役の国会議員がいます。改選のたびに裏方のお手伝いをしています。公職選挙法違反にならない様に気を使います。当選の暁には選挙戦の疲れが吹き飛びます。まさに天国と地獄の戦いですよ!(長崎市・70代男性・無職)

 ■忘れないミス
 私は村役場職員だった24歳の頃、採用2年目で選管書記を拝命。統一地方選挙で大きなミスをして某女性の初の選挙投票権を奪ってしまいました。一生忘れることはできません。83歳で余命もあとわずかです。この投稿が採用されて万が一読んでいただければ、冥土の宝物とします!(南島原市・80代男性・無職)

 ※できるだけ多くの方の声を紹介するために投稿内容の一部を削ったり、意味が正確に読者に伝わるよう必要最低限の修正を加えたりしている場合があります。ご了承ください。

© 株式会社長崎新聞社