天狗党・飯田軍蔵の勇姿 茨城・下妻 掛け軸や巻物初公開 15日まで

飯田軍蔵利貞関連の歴史資料を公開した子孫の飯田光信さん=下妻市長塚乙

尊王攘夷の天狗党に参加し波乱の人生を送った幕末の志士、飯田軍蔵利貞(1832~64年)の資料展が9日、茨城県下妻市長塚乙の市ふるさと博物館で開幕した。軍蔵の子孫、飯田光信さん(80)=同市=が、所蔵する掛け軸や巻物、肖像画など20点を初めて公開した。市民団体「下妻藩顕彰会」が主催した。15日まで。

軍蔵は、井上下妻藩領だった木戸村(筑西市)の名主の家に生まれた。水戸弘道館で学び、64年3月、天狗党の筑波山挙兵に参加し、幕府軍と交戦。銃創を負い、同年11月に獄中で死去した。1918年に正五位を贈られた。

展示資料からは、軍蔵の死後、次女の飯田古宇(1864~1945年)が顕彰に奔走したことが強く浮かび上がる。古宇は茨城新聞第2代社長、飯村丈三郎=下妻市出身=と交流があった。展示品の一つ、鹿島桜巷の連載「尊攘烈士飯田軍蔵」=1918年7~9月本紙掲載=の切り抜きを表装した巻物は、飯村から贈られたものだ。また、杉山環湖作「飯田軍蔵出陣の図」は、飯村が描かせたと伝わっている。飯村は幼少期に預けられた千妙寺(筑西市)で、軍蔵と出会ったという奇縁があった。

「皆さんに井上下妻藩とゆかりのある軍蔵について興味を持ってもらえれば」と同顕彰会の笠嶋明会長(73)。光信さんは「古宇は曽祖母に当たる。今まで自宅にあった資料を調べる中で軍蔵や当時の様子が分かった。披露する機会をいただき、うれしい」と語った。

© 株式会社茨城新聞社