アーセナル、下部組織出身者だけで組んだ「生え抜きベストイレブン」

現在イングランド・プレミアリーグの優勝を争っているアーセナル。多くの選手をフランスなど外国から獲得してきたことで知られるが、その一方で下部組織にも多くのタレントがいることで有名だ。

今回はそんなアーセナルの下部組織が生んだスター選手のベストイレブンを選出してみたぞ。

GK:ヴォイツェフ・シュチェスニ

アーセナル所属:2006~2017

レギア・ワルシャワのユースで育ったあと、15歳でイングランドへと渡ってアーセナルの下部組織に加入したポーランド人ゴールキーパー。しばらくはリザーブやバックアップとしてプレーしていたが、2011-12シーズンにはマヌエル・アルムニアのポジションを完全に奪ってレギュラーに定着した。

のちにダビド・オスピナやペトル・チェフの加入によって退団に追い込まれてしまったものの、その後もイタリア・セリエAへの移籍で復活。ローマとユヴェントスで長く守護神として実力を見せている。

CB:トニー・アダムス

アーセナル所属:1980~2002

アーセナルの下部組織出身で、キャリアのすべてを捧げたワン・クラブ・マン。クラブの歴史上でも最高の選手の1人であり、ベストイレブンを選べば必ず入ってくるような存在だ。大柄な体格でパワフルな守備と類まれなリーダーシップを見せ、常に勇敢なプレーを見せた。

2011年にはクラブ創設125周年を記念してアダムスの銅像がエミレーツ・スタジアムの外周に置かれることになった。2015年には心臓病で倒れてしまったが、手術によって復活している。

CB:マーティン・キーオン

アーセナル所属:1980~1986、1993~2004

アーセナルの下部組織でプレーしたあとにアストン・ヴィラとエヴァートンで活躍し、26歳のときに呼び戻されたセンターバック。それから長くチームを支え、トニー・アダムスやスティーヴ・ボールドらとともにイングランド屈指の守備陣を形成した。

2005年に現役引退したものの、その7年後に少しだけウェンブリーというクラブで現役復帰したが、出場はなかった。現在はメディアで解説者として活躍している。

右SB:デイヴィッド・オレアリー

アーセナル所属:1973~1993

エクトル・ベジェリンという手もあるが、彼はバルセロナからやってきた外様である。右サイドバック本職の選手だとその他にジャスティン・ホイトがいるが、ややインパクトが乏しい。そこでこのポジションには右もこなせたデイヴィッド・オレアリーを選んだ。

ロンドン生まれのアイルランド人である彼は17歳でアーセナルのトップにデビューし、冷静で優れたポジショニングとエレガントなディフェンスで活躍。アーセナルでの出場数は722試合を数え、これはクラブの最多記録である。

左SB:アシュリー・コール

アーセナル所属:1997~2996

左サイドバックについては誰も文句は出ないだろう。子供の頃から愛していたというアーセナルの下部組織で育ち、1999年に18歳でトップチームデビュー。シウヴィーニョが怪我をした2000-01シーズンにポジションを掴み、それから長くレギュラーを務めた。

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攻守に渡るアグレッシブなプレー、ゴールを生み出すドリブルやクロス。ピンチを救う素晴らしいクリア。この世代で最もパーフェクトなサイドバックだったと言える選手だ。

CMF:ジャック・ウィルシャー

アーセナル所属:2001~2018

9歳でアーセナルのアカデミーに加入したウィルシャー。各年代のカテゴリで活躍し、2008年のブラックバーン戦でトップチームにデビューした。その時はまだ16歳と256日であり、セスク・ファブレガスの最年少出樹記録を更新するものだった。

残念ながらそのキャリアは怪我との戦いが大半を占めてしまったものの、万全の状態の彼は本当にパーフェクトなセンターハーフであった。30歳という若さで現役を引退したあとはアーセナルU-18で監督を務めている。

CMF:レイ・パーラー

アーセナル所属:1989~2004

セスクという手もあるが、あまりにも下部組織所属の期間が短すぎるので…アーセナルのファンが愛するいぶし銀のミッドフィルダーを選んだ。練習生としてアーセナルの下部組織に加入し、そして1992年にデビュー。サイドも中央もこなし、スーパーサブでも起用でき、常に地味な役割をこなして攻守に貢献できる、とにかく堅実な選手であった。

2007年に現役引退したものの、マーティン・キーオンとともに2012年にはウェンブリーというアマチュアチームで現役復帰したこともある。現在はメディアで解説者として活躍。

右SH:ブカヨ・サカ

アーセナル所属:2008~

すでにこのリストに入れていいと感じられる現所属選手。まだ21歳であるが、すでにアーセナルでの出場数は180試合に迫っており、このままチームに残ればデイヴィッド・オレアリーの記録を破る存在になるかもしれない。

10代でデビューしたあとサイドバックも経験したものの、このところはウインガーとして大ブレイク。イングランド代表でもワールドカップの主力として活躍しており、将来が嘱望されているタレントだ。

左SH:デイヴィッド・ロカッスル

アーセナル所属:1982~1992

ロカッスルほどアーセナルで人気を博した選手もあまりいない。1982年にアカデミーへ加入すると、3年後にデビュー。目が非常に悪かったため、コンタクトレンズを着用することで選手として飛躍を遂げたという。素晴らしい才能と粘り強さを持ったMFで、リーズに移籍するまで7シーズン活躍した。

1999年に怪我のため30歳で現役を引退すると、その後まもなく非ホジキンリンパ腫という悪性腫瘍を患い、闘病の末33歳という若さで死去。アーセナルは彼を偲んでアカデミーの屋内練習場に「デイヴィッド・ロカッスル・インドアセンター」という名前を付けている。

FW:ポール・マーソン

アーセナル所属:1984~1997

現在はテレビの売れっ子解説者となっているポール・マーソンは、アーセナルの下部組織が生んだ名アタッカーだ。1984年に練習生として加入し、ウインガーやストライカーとしてプレー。キャリアの後半では中盤で成功を収めた。

アーセナルでは1994年にアルコールや薬物中毒が明らかになって離脱するも、しばらくの治療を終えて復帰。1997年までプレーを続け、ミドルズブラへと移籍していった。なお2008年に行われたアーセナルの公式サイトでの投票では「クラブ史上26位の偉大な選手」に選ばれている。

FW:アンディ・コール

アーセナル所属:1988~1992

活躍したのはアーセナル以外のクラブであるが、間違いなく1990年代のイングランドを代表するストライカーだ。もともとはアーセナルの下部組織で育ったものの、わずか1試合のみの出場でローンに出され、そのまま退団。

1993年にニューカッスルへと移籍してからはプレミアリーグ屈指の点取り屋としてブレイクし、マンチェスター・ユナイテッドでもエースとして活躍。容姿が似たドワイト・ヨークとともに「双子」と呼ばれるコンビを形成した。

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