高祖父はカナダ移民第1号 フィギュア五輪代表メッシングさん 南島原で墓参

高祖父の墓を訪れたメッシングさん(左)=南島原市、玉峰寺

 カナダ人フィギュアスケーターで、2018年平昌、22年北京五輪代表、キーガン・メッシングさん(31)が17日、長崎県南島原市口之津町にある先祖の墓参りをした。母方の高祖父は日本からカナダへの移民第1号とされる同町出身の永野萬蔵さん。メッシングさんは「偉大な高祖父がこの旅を始め、僕が日本でキャリアを終える。彼が始めた旅を円のようにつなげることができた。完璧なシナリオだ」と感慨深げだった。

メッシングさんの高祖父でカナダ移民第1号の永野萬蔵さん(写真右、口之津歴史民俗資料館所蔵)

 口之津歴史民俗資料館所蔵の資料などによると、永野萬蔵さんは、江戸末期の1855年に旧口之津村に生まれ、77年、22歳の若さで日本人のカナダ移民第1号としてブリティッシュコロンビア州に上陸。日本に輸出する塩ザケ製造業やホテル経営で成功を収めた。晩年は口之津に帰郷。1924年に70歳で死去し、古里の墓所に眠っている。
 メッシングさんは世界国別対抗戦(13~16日・東京)のため来日。引退試合となった15日の男子フリーに4番滑走で登場した。冒頭で4回転-2回転の連続トーループを決めると、観衆の大歓声の中、最後は渾身(こんしん)のコンビネーションスピン。28年間の競技人生が凝縮された4分間のラストダンスを終え、氷上で瞳を潤ませた。フリーの結果は7位だった。
 メッシングさんは母サリーさん(61)と口之津町の玉峰寺を訪れた。親族と対面を果たすと墓前へ。「あなたのおかげです。ありがとう」と心の中で、高祖父にあいさつ。墓前に線香を手向けた。「家族のルーツはここから始まった。自分に流れる日本人の血を誇りに思う。本当に、言葉を失うほどに(萬蔵さんに)感謝している」
 引退後は消防士に転身するという。
 「アイスショーでまた来日したい。手厚い声援を送ってくれた日本のファンに感謝したい。次のショーが楽しみだ」
 高祖父が眠る地で自身のルーツをたどる旅を終え、次のチャレンジへ心をはせていた。


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