「長崎のまちづくり担い光栄」田上市長が退任 4期16年を振り返る

市民や職員らに見送られ、長崎市役所を後にする田上市長

 4期16年にわたり長崎市政のかじ取り役を担った田上富久市長(66)が25日、退任会見に臨み「歴史ある長崎のまちづくりを担わせてもらい、光栄な時間を過ごすことができた。感謝の気持ちでいっぱい」と晴れ晴れとした表情で語った。
 1980年に市役所入庁。市統計課長だった2007年、4選を目指していた伊藤一長氏が選挙運動中に射殺されたのを受け補充立候補し、初当選した。
 「次の時代の基盤をつくることが使命」と考え、交流人口拡大に向けた出島メッセ長崎の整備などハード、ソフト両面で施策を進めたと説明。「時代の変化に対応し、方向性を明確にして進む『進化』の16年だった」と振り返った。
 平和行政については「被爆者なき時代が近づく中、実相を伝える態勢や仕組みづくりが大きなテーマだった。多くの人に参画してもらい、少しずつ進んでいる」と評価。「核なき世界」の実現に向け「過去の話ではなく今と未来、世界の人類のため」と海外発信に努めたとした。21年の核兵器禁止条約発効は「歴史に残る大きな出来事。被爆地、被爆者が、条約ができる力になろうと取り組んだことは大きな意味があった」と意義を強調した。
 市政の課題として人口減少対策を挙げ「成果を上げるところまでいかなかった」とした。新市長に就任する鈴木史朗氏に「まずは地域を回り、市民と話し、現況をつかむことが市政を進める基盤となる。現場を見ることから始めてほしい」とエールを送った。

◎一問一答/今後はノープラン、しばらく自由に

 田上市長の退任会見での主な発言は次の通り。
 -16年間を振り返って。
 時代に合わせて進化していくことが大事だとの思いがあった。まちづくりや地域づくり、「まちの形」の分野で変化してきたことが一番印象に残る。
 -箱物重視との批判があるが。
 就任時はソフトの充実で長崎の魅力を高めると考えたが、市政を進める中で基盤をつくる大事な時期との認識に立った。ハード整備はゴールではないが役割は重要。地域や市役所の仕組み、観光分野などでソフト面の基盤づくりも進めた。100年に1度のまちづくりを完成させると同時に、生かし方の時代に入る。
 -交流人口拡大に向けた取り組みの成果は。
 「長崎さるく」から始まり、資源磨きでは二つの世界遺産登録や出島表門橋架橋に取り組み、MICEの動きなど交流の在り方を広げるプロセスだった。まだまだ伸びしろがある。
 -自身の今後について。
 ノープラン。今は(国政などの)選挙に出ることは考えていない。しばらく自由な時間を持ちたい。
 -最後に伝えたいことは。
 職員時代から42年7カ月、市役所に籍を置いた。長崎は本当に素晴らしいまち。市民がまちづくりに参画していくことが大事。新市長と一緒に「オール長崎」で長崎を良くしていく流れをつくってほしい。

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