横浜・金沢の米軍施設跡地 開発構想が具体化? 市が年内に本格調査 返還から14年

旧富岡倉庫地区で野積場だった一角。左奥には旧国家公務員宿舎が見える=横浜市金沢区

 2009年5月の返還以降、手つかずとなっていた米軍施設の跡地で、ついに開発構想が動き出しそうだ。横浜市金沢区の沿岸部に広がる「旧富岡倉庫地区」の一部について、市は開発事業者の公募を見据え、今秋までに本格的な調査に乗り出す。今月25日で全面返還から丸14年。長らく眠っていた旧軍用地はどう姿を変えるのか。

 市基地対策課によると、一帯にはかつて旧日本海軍の飛行艇基地があり、終戦直後に接収された。米軍は倉庫や屋外保管用の野積場(のづみば)、射撃場などを構え、直線距離で約10キロ先にある「横浜ノース・ドック」(同市神奈川区)の予備的施設として運用していたという。

 34ヘクタール余りと広大な同地区は、日米間の合意に基づいて1971年2月に9割強が返還され、富岡総合公園、県警の機動隊訓練場、国家公務員宿舎が整備された。2009年5月には残る1割弱も返還に至り、一部を利用して市衛生研究所が完成している。

 一方で手つかずになっているのが、野積場として使われていた国有地約2.2ヘクタールだ。金沢シーサイドライン南部市場駅の南側に位置する長方形の平たん地で、生鮮食品を扱う「横浜南部市場」や「三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド」と近接している。

 市は11年に跡地利用基本計画を策定。海沿いに工場や研究所が集積している立地特性を踏まえ、野積場については「産業・研究機能などの導入」を検討すると明記した。しかし、周辺での工場の撤退や国内経済の停滞により、誘致は実現しなかったという。

 さらにこの間、野積場の隣接地に建つ国家公務員宿舎の廃止が決定し、15年に居住者の退去が完了。7階建て2棟と10階建て2棟は巨大な「空き家」となり、宿舎の敷地約3.5ヘクタールを含む大規模な一体開発も選択肢の一つになった。

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