「目の前が真っ暗」小さな寺が直面した重要文化財の修理費 お年寄りが託した100万円

戦時中の強制疎開で敷地が狭まり、東西に長い境内となった西念寺(京都市下京区)

 京都市内のまちなかにある小さな寺で、ほそぼそと守ってきた涅槃(ねはん)図が、思ってもみなかった流れで国の重要文化財になった。大がかりな修理が必要になったが、寺が用意しなければならない費用は1千万円。住職は「目の前が真っ暗になった」と振り返る。

 広々とした五条通に面する浄土宗西山禅林寺派の西念寺(京都市下京区)。太平洋戦争中の強制疎開で建物が取り壊しになり、境内の広さは3分の1、東西に長い敷地になった。

 幕末の火災もあって明治時代より前の過去帳はなく、涅槃図も詳しい来歴が分からない。京都府や京都市の文化財指定もなかった。毎年2月の涅槃会には必ず掲げていたが、壁のエアコンにかぶさってたわむような場所だった。先代の父と2人、参拝者もほとんどいない法要が終わると、割れた木箱にしまっていた。

 住職の岩田浩然さん(77)は「父は空襲警報が鳴るとご本尊と涅槃図を井戸の中に入れたと聞いた。何があっても守るように言われてきた」と思い返す。

 転機は2009年夏に訪れた。本尊の阿弥陀如来像を調べる機会がきっかけとなった。訪れた仏像の専門家に涅槃図を示すと、仏画が専門の大原嘉豊・京都国立博物館研究員(現・教育室長)が駆けつけた。

 そのとき大原さんが発した言葉を岩田さんははっきり覚えている。「おそらく平安時代のもの。こんなん僕らも100年に1度出合うかどうか」。亡くなる釈迦(しゃか)が横たわる台の角度や周囲で嘆く動物の数に特徴があった。国内でも例の少ない重文級の涅槃図だった。

 大原さんも当時を振り返り、「見た瞬間に分かった。京都の寺はかなり調査されているので、こんな新発見はありえないと思った」と話す。

 涅槃図は広げると顔料がポロポロ落ちるほど損傷が激しく、修理が必要だった。重文となれば、中途半端な補修では済まされない。岩田さんは大原さんらにおそるおそる費用を聞くと、文化庁の補助金を入れても寺で約1千万円用意しなければならないという。喜びもつかの間、「目の前が真っ暗になった」。

 かつて300人を超えた檀家は、戦後100人弱に減った。月参りは数軒で、墓じまいも相次ぐ。父も岩田さんも教員として生計を立てていた。

 まずは檀家に資金集めを依頼した。1口6千円で呼びかけると、「お釈迦さまが泣いている」と協力が広がった。13、15年には京都古文化保存協会の特別公開に参加し、拝観料をもとに同会から計210万円が寄進された。さい銭箱に千円札や1万円札を入れ、名乗らずに帰る参拝者も多かった。

 16年に重文指定が決まり、修理へと動きだしていたが、「資金集めが頭打ちになり、企業にお願いに回ろうかと悩んでいた」という時期もあった。地道な支援が続き、観光タクシーの運転手が積極的にお客さんを連れてきてくれ、中には貯金箱からお金を出す小学生もいた。付き合いのある1人暮らしのお年寄りは、100万円を渡してくれた。

 最終的に修理費の半額に当たる約960万円が集まり、岡墨光堂(中京区)が18年から4年がかりで作業を進めた。修理を終えた涅槃図は本堂に戻り、4月22日から特別公開された。

 「おかえりなさい」。岩田さんは感無量の表情をみせる。未指定の文化財から奇跡的な縁で重文となり、支援の輪が広がって次代につなぐ道筋がついた。岩田さんは「美術品として鑑賞するのではなく、涅槃図に何かを求めている人がいるからこそ、これだけのお金が集まったのだと思う。修理を終えた今の姿をぜひ多くの人に見てほしい」と感謝の思いを新たにしている。

 今回の西念寺の涅槃図公開は、京都古文化保存協会の特別公開の一環。

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