ロービジョンの柔道家に差した光、半導体レーザー技術で「昔の自分に戻ったかのよう」 QDレーザが開発した眼鏡型端末

 眼鏡型端末「レティッサ・ディスプレイ」をかけた石川信介さん

 「Low vision(ロービジョン)」と呼ばれる視覚障害をご存じだろうか。日本眼科医会によると、病気やけがなどで視力が低下し、全盲ではないものの、通常の眼鏡やコンタクトレンズ、手術などの治療では見え方の改善が難しく、日常生活に不自由がある状態を指す。ロービジョンの障害を抱える人は国内に145万人、全世界では2億5千万人に上ると推定されている。

 柔道の試合中に事故に遭い、ロービジョンの障害者となった石川信介さん(49)は2016年、知人に紹介され、ある眼鏡型の端末をかけた。すると、目の前には衝撃の光景が。人や物がはっきり見え「昔の自分に戻ったかのようだった。車やバイクをまた運転できるかもしれないとも思った」と話す。石川さんの視界に再び光が差したのは、眼鏡型端末に搭載された半導体レーザーの技術によるものだ。石川さんは柔道家としての夢を追う傍ら、「ロービジョンに悩む多くの人たちの世界が変わる」としてこの技術を活用した製品の開発に携わっている。(共同通信=松尾聡志)

 ▽柔道の試合中の事故で網膜剝離、右目の視力は0・01で左目は失明
 石川さんは実業団柔道で活躍していた1999年、試合中に対戦相手の肘が右目に当たり、「パン」と破裂したような音がした。痛みや腫れはなかったが、網膜剝離によって視力は0・01に低下した。全く見えないわけではないが、網膜がゆがんでしまい、眼鏡やコンタクトを使っても矯正できないとの診断だったという。2003年には試合中の同じような事故で左目が失明した。

 大好きな車やバイクの運転を諦めざるを得なくなり落ち込んだ。普段の慣れた道は問題なく歩けるが、繁華街などの人混みに行く時は白杖が欠かせなくなった。失明した左側は特に人や物に気づきづらく、擦れ違いざまにぶつかってトラブルになるのを避けるためだ。石川さんは「多くの人はつえがなければ視覚障害者だと認識しない。全盲の人ほどつえが必要なわけではないが、自分が視覚障害者だとアピールする意味がある」と話す。

 ▽網膜に映像を直接投影、見えているように錯覚させる
 石川さんがかけた眼鏡型端末を開発したのは、半導体レーザー技術に強みを持つ新興企業のQDレーザだ。2006年に富士通研究所から分離・独立して事業を始め、現在は東京証券取引所の「グロース」市場に上場している。半導体レーザー技術の用途として消費者に最も身近なのは、CDやDVDなど光ディスクへの情報の書き込みや読み出しだという。

 半導体レーザー技術を生かす製品の一つとして開発されたのが、眼鏡型端末「レティッサ・ディスプレイ」シリーズだ。公式サイトによると、赤、青、緑の半導体レーザーから生まれる微弱なフルカラーのレーザー光が瞳孔の中心を通り、網膜の上を高速で動くことで鮮やかな映像を投影するという。いわば、フレームに搭載した超小型プロジェクターを使ってスクリーンに見立てた網膜に映像を直接投影する仕組みだ。QDレーザ視覚情報デバイス事業部の庄司百合亜さんによると、人や物が見えるというより「見えているように錯覚させるイメージ」なのだとか。

 映像の投影が可能かどうかは障害の状態などによって変わるが、石川さんの場合はでこぼこした網膜であっても人や物が鮮明に映り、ピント調節が必要ないので目も疲れないという。

 石川さんによると、端末装着時は視力で0・8程度の見え方になる。バッテリー切れや映像の位置がずれた場合の危険性から静止した状態で使う必要があり、車の運転などには使えない。だが裸眼だと画面がぼやけてしまっていたテレビがはっきり見え、再び家族や友人と同じ場面で笑ったり泣いたりできるようになった。鍋やフライパンを使う料理は感覚任せでやっていたため、野菜の切りくずなど不要な物が混ざっていたことに食べて初めて気づくケースがよくあったが、失敗がなくなったという。

 ▽ソニーと連携してビューファインダーを開発、写真を撮る喜びも
 「レティッサ」ブランドの製品としては他に、顕微鏡のような外観で読書や筆記作業の際に役立つ「レティッサ・オン・ハンド」がある。2023年3月にはソニーと連携して開発したビューファインダー「レティッサ・ネオビューワ」を発売した。デジタルカメラ「サイバーショットDSC―HX99」に装着して使う機器で、ロービジョンの障害者も被写体を捉えることができ、写真の撮影や共有の喜びを感じてもらうのが狙いだ。

 「レティッサ・オン・ハンド」を読書に使用する際のイメージ(QDレーザ提供)

 レティッサブランドの製品は出荷台数が累計約千台。QDレーザは、小型化や軽量化、低価格化が今後の課題としている。例えばレティッサ・ディスプレイの現行モデルの価格はオープンで、家電量販店の通販サイトなどでは29万8千円で販売されている。重さはフレームに搭載されているプロジェクター部分が約40グラムで、フレームとケーブルでつながる手のひら大のコントローラー部分は約260グラムだ。

 石川さんは現在、QDレーザに所属し、製品を試作段階で使用して、改善案を開発担当者に伝える役割を担っている。例えば、文字と背景の色を白と黒で反転表示させる機能や映像の一部を切り取るキャプチャー機能が盛り込まれた。製品をしまうケースに使う緩衝材を明るい青色にしたのも、石川さんの指摘がきっかけ。製品はいずれも黒く「緩衝材が暗い色だと、出し入れする際に見分けが付かない」ためだ。

 ソニーのデジタルカメラに装着して使うビューファインダー「レティッサ・ネオビューワ」(QDレーザ提供)

 ▽コロナ禍で加速した社会のデジタル化、取り残される視覚障害者
 新型コロナウイルス禍で社会のデジタル化が加速したが、石川さんは「ロービジョンの障害者が余計に取り残されていく」と感じている。例えば、設置が広がるセルフ式のレジや注文端末はタッチパネルが光の反射などでよく見えない。だから「コンビニは必ず有人レジに並ぶし、外食するのは基本的に自席で店員に注文し会計も済ませることができる牛丼の吉野家ぐらい」と話す。

 駅の行き先案内板やスーパーの値札がどんどん電子化されていくのも懸念している。通常の案内板や値札ならスマートフォンのカメラで撮影して拡大すれば文字を確認できるが、電光掲示だと撮った画像がぎらついてよく見えないからだ。

 ▽高校時代の厳しい練習が糧に、目指すはロスパラリンピック
 石川さんは7歳で柔道を始め、強豪校として知られる国士舘高で厳しい練習に耐えたのが糧となっている。視覚障害者となって初めて出場した2004年の全日本の大会は「負けたら引退」と思って臨んだ結果、2人のメダリストを破って90キロ超級を制し優勝した。「目が悪くなったのなんて高校の頃のきつさと比べたらたいしたことじゃない。目が悪くならなければこういう(QDレーザの社員や技術との)出合いもなかったし、目が悪くなったことでより相手の人間性を見るようになった」と前向きだ。

 長年、肩の痛みを抱えてだましだまし柔道をしてきたが、近く手術することを決めた。2028年に米ロサンゼルスで開催されるパラリンピックへの出場を目指す。

 柔道に打ち込む石川信介さん(左)

 石川さんへの取材は対面で実施した。筆者との距離は1メートルほどだ。取材開始時、裸眼の状態の石川さんに筆者の顔がどのくらい見えるか尋ねたところ「眼鏡をかけていて髪は短くて…」と話した。取材終盤にレティッサ・ディスプレイをかけてもらった。すると、石川さんは「あれ?眼鏡はかけていないですね」と申し訳なさそうに笑った。そして「見えないとコミュニケーションがどうしてもちぐはぐになってしまうんですね。見えると世界が変わるんです」と改めて語った。

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