並走区間に残る英断の歴史

新清水行きのA3000形2両編成=静岡市駿河区

 【汐留鉄道倶楽部】JR東海道線で静岡から上り普通電車に乗り、二つ目の草薙を過ぎてしばらくすると右手から複線の線路が寄り添ってくる。一瞬、複々線になったかのようにも見えるのだが、小さな駅や2両編成の電車を目にするので、すぐに別の会社の線路だと分かる。並走区間は約2キロ。新静岡―新清水間、11キロを全線複線で結ぶ静岡鉄道(静鉄)だ。

 静岡と清水の間に、JRは東静岡、草薙の2駅しかないが、静鉄は13もの駅がある。静鉄の日中の運転間隔は8分でJRより短く、JRに比べて1列車当たりの輸送人数は少ないけれど、地域間輸送に徹した地方鉄道といえる。

 静鉄の歴史をたどれば、長大な軽便鉄道線や静岡地区、清水地区の路面電車線もあったのだが、ご多分に漏れず1960年代以降次々と廃止された。今となっては短距離の路線のみが残った形だが、「山椒(さんしょう)は小粒でも…」ということわざのような歴史のエピソードがこの並走区間に残されている。

静鉄のラッピング電車。手前2線がJR東海道線、奥の2線が静鉄=静岡市清水区

 1950年3月27日深夜、国鉄の上り線草薙―清水間を走っていた貨物列車が脱線、車両は自線だけでなく隣の下り線、さらにその隣の静鉄下り線(静鉄は国鉄と逆に新清水方向が下り)もふさいでしまった。

 鉄道輸送のウエートが今よりずっと大きかった時代だ。「東西の大動脈、静岡で分断」という深刻な事態を前に、静鉄は国鉄に対して唯一無事だった自社の上り線(新静岡方向)を国鉄線と接続し、自社の運行は中止する代わりに国鉄の列車を通すよう提案した。国鉄と静鉄が協力し、翌28日夕に接続工事が終わり、最初の列車がこの迂回(うかい)区間を通過した。

 「静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ」(2020年)はこう振り返っている。「当社線の運行や技術的問題よりも交通事業者としての大局的な判断のうえに立ってこの切替輸送の実行を決意したのである。これは大英断だった」。ちなみに「最初の列車」というのは進駐軍専用列車。時代からしてなるほどなあと思わせる話だ。

イベントで公開されたA3000形(中)と1000形(左)。奥は新静岡行き電車=2022年11月、静岡市葵区の長沼車庫

 昔話はこれくらいにして、今の話題を。静鉄で何が楽しいといって、1編成ごとに塗色が違うA3000形が実に魅力的だ。全部で7色(ラッピング用の無塗色も入れると8種類)、「静岡レインボートレインズ」と呼ばれている。次に来る電車は何色か、すれ違う電車は何色か…。

 2016年に最初の編成の運用が始まって以来、1色ずつ増えていって静岡市民の目を楽しませてきたのだが、実は7色には静岡にちなんだモチーフがある。赤=イチゴ、ピンク=サクラエビ、黄=ミカン、黄緑=ワサビ、緑=お茶、水色=富士山、青=駿河湾。海から山まで、食べ物も風景も、静岡って恵まれた土地なんだなあと思う。

 ☆共同通信・八代 到

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