傷ついた被災地の子どもたちが一瞬で笑顔になった「ピカチュウ」の力 社員有志が不安を抱えて始めた「息の長い支援」、形を変えて今も続く

ピカチュウのぬいぐるみを手にする株式会社ポケモンの鹿瀬島英介さん=2月、東京都港区

 2011年3月11日の東日本大震災を機に、株式会社ポケモン(東京都港区)は被災地の子どもたちを支援する活動を始めた。ピカチュウと共に避難所や仮設住宅を回り、生活に必要な物資を届けるだけでなく、子どもたちの心のケアなど継続的に支援。震災から12年がたった今も活動は形を変えて続き、支援の範囲は全国の子ども食堂や防災教育などに広がっている。息の長い支援を続ける根底にあるのは「ポケモンは子どもたちに支えられてきた」という社員たちの強い思い。「次は自分たちが子どもたちを笑顔にしたい」(共同通信=西田あすか、桑折敬介)

ポケモンを描いたワゴン車。東北の被災地の子どもたちを訪ねた

 ▽「受け入れてもらえるだろうか」不安を抱えて出発
 2011年3月11日、未曽有の被害を伝えるニュース映像がテレビに流れていた。当時入社4年目だった株式会社ポケモンの鹿瀬島英介さん(43)は、画面を見つめたまま「子どもたち」の無事を案じていた。
 ポケモンカードゲームやゲームソフトの営業担当として全国を回っていた。東北の販売店でもたびたび地元の子どもたちと一緒にゲームで遊んだ。「ポケモンは子どもたちに支えられてきた。今度は、ポケモンが被災した子どもたちに何かしなければ」。思いが募った。
 しばらくの間、自宅勤務が続いていた。同僚と連絡を取り合い、「会社としてできることをやらせてほしい」と上司にかけ合った。支援活動のリーダーを任された。
 関東近郊の避難所にポケモンのぬいぐるみや文房具などの支援物資を届ける活動から始めた。混乱が続くさなかの震災約1カ月後、宮城県気仙沼市へ。「受け入れてもらえるのだろうか」。不安を抱えたまま現地入りした。

 「あ、ピカチュウだ!」
 待っていたのは、あふれんばかりの笑顔。避難所の子どもたちが駆け寄ってきた。ピカチュウのそばから離れようとしない。週に何度も東京と往復して被災地訪問を続け、5月末までには2万人以上の子どもたちに物資を届けた。
 大切にしていたポケモンのぬいぐるみを流された子や、肩車をしてほしいとねだる子もいる。子どもたちが受けた心の傷の深さを知った。怒ったような表情でピカチュウを叩き続ける男の子がいた。様子を見守っていた大人から、その子が津波で親を亡くしたことを、そっと教えられた。
 その年の12月、被災地支援の拠点となる「ポケモンセンタートウホク」(仙台市)がオープン。グッズ販売などの収益は当時、すべて被災地の子どもちへの支援活動に充てられた。活動名はポケモンが寄り添っていることを示す「ポケモン・ウィズ・ユー」との名称に。ポケモンを描いたワゴン車を使って岩手、宮城、福島の3県を回り、各地で上映会や夏祭りなどのイベントを行った。あしなが育英会と連携し、心のケアにも取り組んだ。

ピカチュウとの集合写真に収まる当時8歳の辺見佳祐さん(中央)と伯母の日野玲子さん(右上)=2011年11月、宮城県石巻市(日野さん提供)

 ▽誰もがつらいことを忘れられた
 「子どもが、喜んで喜んで。私も感激しちゃったんだけど。もう、みんなで触ってねえ」
 宮城県石巻市の日野玲子さん(63)が目を細めて、写真を眺めて振り返った。
 2011年11月と印字された写真。ピカチュウの前でピースサインで少し恥ずかしそうに納まる男の子は、当時8歳だった辺見佳祐さん(19)だ。宮城県石巻市で自動車工場を営む両親と、姉=当時(10)=を震災の津波で亡くした。仙台市に住んでいた伯母の日野さんが親代わりとなった。
 日野さんは石巻市の自動車整備工場兼住宅に戻り、佳祐君を育てながら従業員と経営をやりくりしてきた。環境が大きく変わり、2人とも夢中で日々を送る中、あしなが育英会からイベントへの誘いが届いた。ピカチュウに会えるよ、と書いてあった。
 家から少し離れた小学校の体育館で、親を失った約20人の子どもたちが、ピカチュウのお面を作ったり、絵を描いたり。「ちょうどポケモンのカードを集めていた頃でしたから。タイミングも良かったんですね」
 イベントの途中で大きなピカチュウが会場に現れると、子どもたちは大はしゃぎ。ピカチュウに会えたことで大人たちも少しの間だけだが、つらいことを忘れられた。

集合写真を懐かしそうに見つめる辺見佳祐さんと日野さん=2月、宮城県石巻市

 みんなで撮った写真は、長く自宅リビングに飾っていた。「もう覚えていないや」と頭をかく佳祐さん。活動は子どもたちだけではなく、子どもたちを育てる親たちの救いの場にもなっていた。
 災害時の小児医療に関わってきた医師の岬美穂さんによると、子どもの心のケアにとって一番大切なことは「非日常(=災害)の生活から日常をいかに早く取り戻すか」。災害など危機的な状況に直面した子どもたちは、突然パニックになったり、被災した場面の〝ごっこ遊び〟を繰り返したりするなど、さまざまな反応や行動を示すことがある。そういう状況でピカチュウが来ることの意味を、こう指摘する。
 「日常的に親しんできたキャラクターが応援に来てくれたり、遊んでくれたりすることは、子どもたちの心の回復にとって意義のあること」

ポケモン・ウィズ・ユー財団が保育園・幼稚園などに寄贈する未就学児向け防災教材

 ▽防災教材の寄贈、ICT教育支援、子ども食堂を訪問…広がる活動
 震災から10年となった一昨年、「ポケモン・ウィズ・ユー」の活動は同社が新たに設立した一般財団法人に引き継がれた。支援する地域は、東北から全国に広げ、災害の枠組みに限らず、多岐にわたるものになった。
 子どもが災害から身を守れるように未就学児向けの防災教材を保育園・幼稚園などの施設に寄贈するほか、情報通信技術(ICT)教育支援として小学3~4年生向けのプログラミング教材の提供なども行っている。
 地元のNPOなどが行う子ども食堂への支援にも力を入れる。文房具やペーパークラフトなどを提供するほか、約2年間かけてピカチュウとともに47都道府県の子ども食堂を訪問するイベントも進行中だ。子どもたちにとって楽しい記憶のある場所にして、経済的に厳しい家庭の子が足を運びやすくすることを目指している。
 ポケモン・ウィズ・ユー財団・事業グループのリーダー新井賢一さんは活動の意味や今後についてこう語る。「根底にあるのは、当初から変わらず子どもたちを笑顔にしたいという思い。社会の課題に対し、ポケモンだからできることをテーマに活動を定めていった。財団としての活動は始まったばかり。今後も子どもたちへの支援に課題を感じる人たちと活動の輪を広げていきたい」

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