中田英寿、中村俊輔、小野伸二じゃない!U-20W杯で「10番」を背負った日本の天才10名

コロナ禍で中止されていたU-20ワールドカップが2019年以来4年ぶりに開催される。

3大会連続11度目の出場となるU-20日本代表は現地時間21日に登場し、グループステージでセネガル、コロンビア、イスラエルと対戦する。

ここでは、日本が出場した過去10大会で「10番」を背負った選手たちをみていこう。後のレジェンドたちを差し置いてエースナンバーを背負ったのは?

鈴木 淳

監督になった鈴木淳

大会:1979年FIFAワールドユーストーナメント
結果:ベスト8

日本が開催し、初出場した1979年大会。優勝したアルゼンチンからラモン・ディアスが得点王に、ディエゴ・マラドーナがMVPに輝いた。

日本は風間八宏や水沼貴史ら後のスター選手が出場しているが、10番を背負ったのは当時高校生の鈴木淳だった。

全国的には無名だった鈴木だが、高いテクニックが松本育夫監督に買われメンバー入り。チームはグループ敗退となったものの、鈴木個人は大会後アルゼンチンの関係者から獲得を打診されている。

鈴木はその後Jリーグでプレーすることはなかったものの、モンテディオ山形やアルビレックス新潟を指揮。現在はソニー仙台を指揮している。

伊藤 卓

大会:1995年FIFAワールドユース選手権
結果:ベスト8

日本が初めてアジアの予選を突破し、1979年大会以来となる出場を果たした1995年大会。

この大会には中田英寿がメンバーに選ばれているが、中田は7番を背負って出場しており、10番を与えられたのは伊藤卓だった。

後に名古屋グランパスやベガルタ仙台などでプレーした伊藤。1994年のAFCユース選手権でキャプテンとして準優勝に貢献した。

しかしこの年代の難しさでもあるように高校卒業後に進学した国士館大学で調子を落とし、本大会では控えとなっている。

柳沢 敦

大会:1995年FIFAワールドユース選手権
結果:ベスト8

宮本恒靖、中村俊輔らを擁して8強入りした1997年大会。

中村俊輔、大野敏隆のW司令塔に、柳沢敦、永井雄一郎という強力2トップがハマった。そんな大会で10番を背負ったのは中村俊輔(16番)ではなくストライカーの柳沢だ。

鹿島アントラーズや日本代表として活躍した柳沢。1歳年下の中村が後年、「自分のパスセンスを磨いてもらった一番の選手はヤナギさん。あの人は、いつも数手先を考えて動いていた」と評する動き出しが絶品だった。

その才能はこの大会でも存分に発揮され、5試合4ゴールを決めている。

本山 雅志

前列右下の10番が本山

大会:1999年FIFAワールドユース選手権
結果:準優勝

小野伸二、高原直泰、遠藤保仁、稲本潤一、小笠原満男らを擁し「黄金世代」と呼ばれたのがこの世代だ。

ただ小笠原が「この世代はシンジとモト。あのふたりが図抜けて巧かった」と語るように、小野伸二(13番)と共にチームを牽引したのが天才・本山雅志(10番)だった。

日本はイングランド、ポルトガル、メキシコ、ウルグアイといった強豪を次々と撃破。決勝でチャビ(現バルセロナ監督)擁するスペインに敗れて準優勝に終わったが、小野と本山は大会ベストイレブンに選出されている。

そんな天才アタッカーも今年、現役引退を表明。24年にも及んだプロキャリアに終止符を打った。

石川 直宏

大会:2001年FIFAワールドユース選手権
結果:グループステージ敗退

国際経験が少なく、黄金世代との比較から「谷間世代」とも揶揄されたこの世代。

その世代で10番を背負ったのが、スピードスターとして活躍した石川直宏だった。

この大会は、1勝2敗でグループステージ敗退。日本が同大会で決勝トーナメントへ進めなかったのは開催国として出場した1979年を除いてこの時が唯一となっている。

ただ右サイドの石川は自慢のスピードを発揮し活躍。確かな自信を掴んだ石川はその後Jリーグで飛躍し、A代表入りも掴んでいった。

坂田 大輔

大会:2003年FIFAワールドユース選手権
結果:ベスト8

8強入りした2003年大会。エースFWを務めた坂田大輔がチームの10番を付けた。

予選時から活躍した坂田。準優勝した前年のAFCユース選手権の決勝・韓国戦において、大熊清監督が発した「サンキュー坂田」は当時のネットでも話題となった。

その決勝では敗れてしまったが、本大会のラウンド16で再び韓国と対戦し、坂田が途中投入から2ゴールを決めて宿敵撃破の立役者となった。

坂田はこの大会で4ゴールを記録し、日本人初となる大会得点王に輝いている。

兵藤 慎剛

大会:2005年U-20ワールドカップ
結果:ベスト16

本田圭佑、家長昭博、森本貴幸、平山相太、前田俊介ら、各世代で「天才」「怪物」と呼ばれた選手が揃っていたこの世代。

ただそんなタレント集団の10番を背負ったのは、国見高校時代に「歴代最高のキャプテン」と呼ばれ、早稲田に進学していた大学生の兵藤慎剛だった。

日本は初戦で本物の怪物クインシー・オウス=アベイエにズタズタに切り裂かれ、オランダに衝撃的な敗戦。グループステージこそ突破をしたものの、世界との差を感じさせる大会だった。

兵藤自身もこの大会では大きなショックを受け、そこから立ち直るまでに時間を要したという。大会はメッシが主役となったアルゼンチンが優勝している。

柏木 陽介

写真は五輪予選のもの

大会:2007年U-20ワールドカップ
結果:ベスト16

アルゼンチンが連覇し、セルヒオ・アグエロが得点王とMVPに輝いた2007年大会。

槙野智章、安田理大といった底抜けに明るい選手がチームを牽引し、“調子乗り世代”と呼ばれた日本。内田篤人や香川真司ら後に大成した選手も多かった。

この世代の中心は既にA代表デビューを果たし、フランスでのプレーも経験していた梅崎司だったが、10番はペトロヴィッチ体制に代わり広島で頭角を現していた柏木陽介だった。

日本はグループステージを無敗で突破し、ラウンド16でもチェコ相手に2点を先行したものの、そこから追い付かれてPKの末に敗戦。そのチェコは決勝まで進んだだけに悔しさが残った。

坂井 大将

大会:2017年U-20ワールドカップ
結果:ベスト16

予選となったAFC U-19選手権で悲願の初優勝を成し遂げ、10年ぶりにU-20W杯出場権を獲得したこの世代。その予選でキャプテンを務め、10番を背負った坂井大将が引き続き10番を与えられた。

本大会では初戦の南アフリカ戦でエースFW小川航基が負傷離脱するアクシデントに見舞われたが、堂安律、久保建英らの攻撃陣に、冨安健洋と中山雄太が形成する鉄壁の守備陣でグループを突破。

ラウンド16では120分の激闘の末にベネズエラに敗れたものの、そのベネズエラが準優勝に輝いたことでチームの強さが改めて証明された。

2014年ワールドカップの帯同メンバーに選ばれ、将来を嘱望された坂井。しかしプロ入り後は思うような結果を残せず、現在はタイでプレーしている。

齊藤 未月

大会:2017年U-20ワールドカップ
結果:ベスト16

コロナ禍になり中断される前の最後の大会となっている2019年大会。

この世代はインテンシティを重視した育成が効果的に表れ始め、それを示すようにファイターの齊藤未月がボランチでありながら10番を与えられた。

本大会ではエクアドル、メキシコ、イタリアという強敵と同じグループとなったが、これを無敗で2位突破。ただエースの田川亨介が負傷した影響は大きく、ラウンド16で韓国に敗れた。

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それでも選手個々の評価は高く、上述の田川や菅原由勢、中村敬斗、伊藤洋輝らが大会後の早い段階でヨーロッパへと旅立っている。

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