世界で話題のAI「Bard」に、Jリーグで最も偉大なゴールキーパー5人を聞いてみた

このところ大きな話題を集めている人工知能チャット。『ChatGPT』や『Bing』などのサービスが急速に普及し、ネット上の無数の情報から返答を導いてくれるAIが様々な場面で存在感を高めている。

今回はGoogleがリリースした新AI『Bard』に「Jリーグで最も偉大なゴールキーパー5人を教えてください」と聞いてみたぞ。

5位:林卓人

所属したクラブ:サンフレッチェ広島、コンサドーレ札幌、ベガルタ仙台

5位に選ばれたのは林卓人だった。金光大阪高校から2001年にサンフレッチェ広島へ加入し、現日本代表GKコーチを務める下田崇のバックアップを務めた。その後コンサドーレ札幌を経て加入したベガルタ仙台でブレイクし、日本代表にも選出された。

そして2014年には西川周作が退団したサンフレッチェ広島に復帰。大迫敬介が台頭するまでの数年間レギュラーを務め、2015年のJリーグ優勝にも大きく貢献。40歳の今も現役を続けている。

『Bard』は「林卓人は、多くの人からJリーグ史上5番目に偉大なゴールキーパーと見なされています。彼は1993年に横浜フリューゲルスでJリーグデビューを果たし、1999年に引退するまで国内でプレーしました。林は通算341試合に出場し、1993年と1994年にJリーグのベストイレブンに選ばれました。また、1993年にはJリーグの優勝を果たしました。」と書いているが、誰と勘違いしているのだろうか?

4位:西川周作

所属したクラブ:大分トリニータ、サンフレッチェ広島、浦和レッズ

Jリーグで通算600試合以上に出場してきた西川周作が4位にランクイン。大分トリニータの下部組織からトップに昇格し、シャムスカ体制で訪れたクラブの黄金期を支える守護神となった。

その後クラブの経営難によってサンフレッチェ広島へと移籍し、Jリーグ2連覇に貢献。その後浦和レッズで不動のレギュラーとなり、数多くのタイトルを獲得した。AFCチャンピオンズリーグも2回制覇し、Jリーグベストイレブンにも5回選ばれている。

『Bard』は「西川周作は、多くの人からJリーグ史上4番目に偉大なゴールキーパーと見なされています。彼は1998年に浦和レッズでJリーグデビューを果たし、現在もプレーしています。西川は通算602試合に出場し、2004年、2009年、2016年にJリーグのベストイレブンに選ばれました。また、2007年にはAFCチャンピオンズリーグで優勝しました」と微妙に年代を勘違いしているようだ。

3位:楢崎正剛

所属したクラブ:横浜フリューゲルス、名古屋グランパス

そして3位になったのは楢崎正剛。高卒で横浜フリューゲルスに加入し、1年目からレギュラーとしてゴールマウスを守り、クラブ最後の公式戦となった天皇杯の決勝でも勝利に貢献。トロフィーを掲げた。

その後は名古屋グランパスへと移籍し、2018年まで長くクラブの象徴としてゴールマウスを守った。日本代表でもワールドカップ4大会に参加するなど国際舞台での活躍も目立った選手だ。

『Bard』は「楢崎正剛は、多くの人からJリーグ史上3番目に偉大なゴールキーパーと見なされています。彼は1993年に名古屋グランパスでJリーグデビューを果たし、2019年に引退するまで国内でプレーしました。楢崎は通算692試合に出場し、2008年、2010年にJリーグのベストイレブンに選ばれました。また、2010年にはAFCチャンピオンズリーグで優勝しました。」と書いている。横浜フリューゲルスの歴史が忘れられているようだ。

2位:曽ヶ端準

所属したクラブ:鹿島アントラーズ

鹿島アントラーズ一筋にプレーした曽ヶ端準が2位にランクインされた。1998年にアカデミーからトップチームに昇格し、若くしてレギュラーを奪取。2002年の日韓ワールドカップでもメンバーに選出された。

Jリーグではこのあと2017年まで長くゴールマウスを守り、その後も2020年まで現役を続行。通算公式戦出場数は682試合を数えた。7回のJ1優勝、5回のリーグカップ優勝、4回の天皇杯優勝、さらにAFCチャンピオンズリーグ優勝と数多くのタイトルを経験している。

『Bard』は「曽ヶ端準は、多くの人からJリーグ史上2番目に偉大なゴールキーパーと見なされています。彼は1995年に横浜マリノスでJリーグデビューを果たし、2015年にFC東京で引退するまで国内でプレーしました。曽ヶ端は通算574試合に出場し、1999年、2003年、2004年にJリーグのベストイレブンに選ばれました。また、2004年にはAFCチャンピオンズリーグで優勝しました。」とクラブや年代がかなり勘違いされているようだ。

1位:川口能活

所属したクラブ:横浜マリノス、ジュビロ磐田、FC岐阜、SC相模原

1位になったのは川口能活だった。清水商業高校から1994年に横浜マリノスへと加入し、2年目からレギュラーを奪取。圧倒的な迫力のシュートストップと勝負強さを武器に活躍し、2001年には日本人GKとして初の海外移籍にも挑戦した。

2005年に帰国した後はジュビロ磐田で長くプレーし、晩年はFC岐阜とSC相模原に所属。年齢もあってか怪我も目立つようにはなっていたが、J2やJ3でもピッチ内外で影響力を発揮した。現在はジュビロ磐田のGKコーチを務める。

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『Bard』は「川口能活は、多くの人からJリーグ史上最高のゴールキーパーと見なされています。彼は1993年にヴェルディ川崎でJリーグデビューを果たし、2010年にジュビロ磐田で引退するまで国内でプレーしました。川口は通算632試合に出場し、1993年と1994年にJリーグのベストイレブンに選ばれました。また、1998年にはアジア年間最優秀選手にも選ばれました。」とのことだが、いろいろと違っている部分があるようだ。なお1998年のタイトルはベストドレッサー賞だけである。

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