「最後」が分からない

 例えば「小学校最後の運動会」が済んだばかりの6年生や、これから「最後の中総体・高総体」に臨む3年生にはピンと来ないかもしれない。実は大人になると「これが最後」と事前に分かっている事柄は激減する▲禁煙の前の「最後の1本」のように、自分の意図が明確に関係しているケースを除けば、「最後」は後にならないと分からない。ああ、考えてみたら、あれが最後だったね-と後から思うのだ。それどころか、いつが最後だったのか思い出せないことも増える▲その人と一緒に仕事をしたのは25年前。長崎市役所の担当だった。インドとパキスタンが相次いで核実験を行い、大学で大規模な赤痢の感染があって、社会福祉法人の大きな不正が表面化した。忙しい年だった▲熱心な先輩だった。休まないし帰らない。途中から気にするのをやめた。お先に帰りますよ。ほーい。返事をしながら記者室の奥の席でまだ何か仕事をしていた▲後輩が言うのはとても生意気だが器用ではなかった。伝えたい中身が多いから原稿が長く、言葉を慎重に選ぶから筆が遅かった。でも、その記事がたくさんの人の心を動かした▲65歳。急ぎ足でいってしまった。早過ぎる別れに言葉が出てこない。考え続けている。ねえ、最後に話したのはいつで、何の話でしたっけ。(智)

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