佐世保市民に愛される懐かしの味 「サンケーキ」の歴史 神戸から来た職人が持ち込む

カット売りのサンケーキ=佐世保市、フルール服部

 「引き出物といえばサンケーキ」-。ホールはドーナツのような形で、バタークリームの上に粉糖がふりかけられたこのケーキ。佐世保市民に親しまれ、世代によっては懐かしの味だ。佐世保で浸透した経緯を調べてみると、神戸からやって来た1人のパティシエにたどり着いた。
 サンケーキの由来はドイツの「ザント(砂)ケーキ」にある。砂のようにほろほろとした食感からその名が付いたという。サンケーキを佐世保に持ち込んだのは洋菓子店「赤い風船」(同市)。1968年の創業時、バタークリームのケーキしかなかった佐世保に生クリームケーキを取り入れようと神戸から職人を招いた。それが当時28歳だった服部健吉さん(82)だ。
 服部さんは、赤い風船のメインパティシエとして生クリームのショートケーキをはじめ数種類のケーキを作り、その中にサンケーキがあった。当初は生クリームのケーキが大人気で、サンケーキは陰に隠れた存在だったという。
 サンケーキは、作って数日後に表面の粉糖がしっとりとして食べやすくなり、常温で日持ちするのが特長。そこで引き出物としての商機を見いだし、市内の結婚式場に売り込んだところ、主要な結婚式場のほとんどがサンケーキを扱うようになった。同市小佐々町の谷加寿美さん(49)は「引き出物のサンケーキが楽しみで、親が結婚式から帰って来るのを心待ちにしていた。今でも無性に食べたくなる」と話す。
 70年代後半から80年代にかけて、サンケーキは佐世保の結婚式の引き出物として重宝され、市内のケーキ店は名を変えこぞってサンケーキを作った。最盛期には、週に7千箱くらい出ていたという。当時をよく知るケーキ職人(70)は「こんなに市民生活に浸透したケーキはなかった」と振り返る。

1970年ごろ、商業施設内の赤い風船コーナーで売られるサンケーキ(手前のショーケースの下から2段目)=佐世保市内(九十九島グループ提供)

 服部さんはその後独立。77年に同市京坪町に「フルール服部」を開業した。現在は息子の進さん(56)が引き継いでいる。赤い風船はよりしっとりとしたケーキに改良し、15年ほど前からは品質管理のために常温から冷蔵に切り替え、引き出物としての取り扱いをやめた。一時のブームは去ったが、赤い風船とフルール服部では今もサンケーキは人気商品だ。

 赤い風船のホールケーキで人気ナンバーワンはサンケーキ。親から子、子から孫へと「思い出の味」として受け継がれているという。赤い風船を運営する九十九島グループの森田伸一顧問(64)は「市民の方に大事にしていただき菓子店冥利(みょうり)に尽きる。今後も多くの方に愛される“お日さまのケーキ”であり続けたい」と話した。
 フルール服部でも幅広い層の人がサンケーキを買い求めている。進さんは「時間も手間もかかるが、父から受け継いだケーキ。お客さまの口に入るものだから一つ一つ大切に作っている」と穏やかに話す。開業当初から変えることなく受け継いできた製法が生む味は、素朴でとても優しい。健吉さんは手紙で「(サンケーキが佐世保に浸透して)大変うれしく思う。お客さまの宣伝によるものと思っています」との言葉を寄せてくれた。

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