ジャズピアニスト小曽根真も「神戸のソネ」から世界へと 少年「マー坊」が教わった「スイングの気持ちよさ」

深夜にプライベートでソネを訪れ、ボーカルの北荘桂子さんらとセッションを楽しむ小曽根真さん(左)=2011年4月23日、神戸市中央区中山手通1

 神戸・北野坂のジャズライブ&レストラン「SONE(ソネ)」は、世界にはばたく名プレーヤーたちを育んできた。プロが若者を誘い、即興でセッションする。ジャズファンの親に連れられた少年少女が感激して腕を磨く。心弾む神戸ジャズのバトンは、今もこの舞台がつなげている。

 半世紀ほど前のソネ。13歳で丸坊主の「マー坊」が、オスカー・ピーターソンに憧れ、グランドピアノを弾いた。当時20代のコントラバス奏者で、店の現オーナー曽根辰夫(71)が率いた「ソネトリオ」に混じり、セッションを重ねた。「中学生時代から『これぞジャズピアノ』という完成したスタイルを持っていた」と辰夫。「マー坊」とは、神戸で育った世界的なジャズピアニスト小曽根真(62)だ。

 真は米国に渡り、1983年に名門バークリー音楽大学ジャズ作・編曲科を首席で卒業して全世界デビュー。クラシックにも挑戦し、目覚ましい活躍を続ける。

 今年4月下旬、ソネで2日間のライブに臨んだ真は「初めてプロのミュージシャンの方と一緒にスイングする気持ちよさを教えてもらった。ソネなくして、今日の小曽根真はないんです」と語った。

 恩人の辰夫を「ター坊」と呼び、アンコール曲を終えた後、約30年ぶりのセッションに誘った。引退している辰夫は渋ったが、スタンダード曲「ペニーズ・フロム・ヘブン」などを奏でて喝采を浴びた。真は「最高、ありがとう。またバンドやろう。そろそろ復活せなあかん」と辰夫の手を握った。

 辰夫は高校生の頃からジャズピアノを学び、甲南大学で軽音楽部に入ってコントラバスに転じた。店で弾いていた70~80年代、神戸の別の会場でコンサートを終えた海外の奏者たちが、まだまだ演奏したいと、深夜のソネに流れ込んできた。

 アート・ブレイキーがドラムをたたいて聴衆にレクチャーしたことも。ハービー・ハンコック、ヘレン・メリル、デューク・エリントン楽団の奏者たち…。ジャズ史を彩る存在がふらりと訪れた。辰夫は「本物のジャズに触れ、興奮した」と振り返る。

 クラリネット奏者北村英治(94)は「ソネは食べ物もおいしく、演奏を同時に楽しめる最高の場所。海外でも『神戸でのコンサートの後はソネ』というのが、売れているミュージシャンの常識でした」と語る。「ビッグネームが遊びに来るので、若手ミュージシャンにとっては最高の学びの場です」

 トランペット奏者の広瀬未来(みき)(39)=神戸市東灘区=もソネに感謝してもしきれない一人だ。甲南高校に在学中、神戸ジャズストリートの後で店を訪ね、ピアニストから「吹け~吹け~」とあおられた。プロに交じって夢中で奏でると「元気あるわ。気にいったわ」とほめられた。「俺、通用するんや」と自信が付き、2003年から11年間、ニューヨークで活動するきっかけになった。今は中高生らが集う「神戸ユースジャスオーケストラ」などで後進指導に力を注ぐ。

 店では03年から「ジャズクラブで演奏する機会を提供したい」と修学旅行生を受け入れ、プロバンドが伴奏した。校歌もジャズ風にアレンジして聞かせた。辰夫の母で店の創業者の桂子(1926~2010年)は生徒らに「大きくなったら、またお店に来てね。もっと上手になって、プロになったら、ここで吹いてね」と声をかけていた。

 「高校生のとき、ここで演奏しました」と懐かしむ女性客がやってきたことも。辰夫は「子ども時代に両親らに連れられ『ソネで生の音を聴き、一生懸命やろうと思った』。そんなプロやファンがたくさんいた。代表格が小曽根真。長年やっているからかな。もちろんうれしいですよ」と頬を緩める。

 取材の間も、年配の男性が晴れやかな表情で店を後にした。「今度、娘を連れてくるわ」と言い残して。=敬称略= (小林伸哉)

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