「黒い塊飛んできた」児童ら96人死傷バス列車事故 京都で起きた大惨事「忘れないで」

事故発生直後の現場。「×」が児童らが乗っていたバス、「〇」は脱線した機関車(1958年6月10日、亀岡市千代川町)編注

 65年前の1958年6月に京都府亀岡市で、社会見学帰りの小学5年生を乗せたバスと列車が踏切で衝突し、96人が死傷した事故があった。バスに乗車し、教え子を亡くした元教諭の女性が6月5日までに京都新聞社の取材に応じた。「黒い塊が飛び込んできた」。女性は当時を振り返るとともに、惨事を知る人が少なくなっている現状に「今でも亡くなった子たちを祈る気持ちは変わらない。忘れ去られてしまうのは悲しい」と語る。

 亀岡小学校(亀岡市)5年5組の担任だった福知潤子さん(91)=京都市西京区。6月10日午後3時半ごろ、学校に戻る途中、国鉄(現JR)山陰線の機関車が、亀岡市千代川町の踏切を渡ろうとしていたバスに衝突した。「体調不良を訴えた児童を介抱し、自分の席に戻ろうと振り向いた瞬間、目の前に黒い塊が飛び込んできた」という。

 バスは大破。ガラスが割れた窓から麦畑にはい出ると、教え子の女子児童が太ももを血だらけにして倒れている姿が目に飛び込んできた。周囲を見渡すと、工事現場にダンプカー2台を見つけた。運転手の元へ走って救助を求めると、荷台にけが人を乗せて病院へ搬送してくれた。

 自身も全身打撲の重傷だった。出血を続ける顎に布を巻き付け、けがをした児童を抱えて励ましながら車まで運んだ。「子どもたちを助けなければ」と必死だった。

 5組の女子2人を含む児童計4人が亡くなり「教え子たちを守れず申し訳ない」と自責の念に襲われた。当時を思い出すと涙が止まらなくなり、同僚や児童とも事故の話はほとんどできなかった。

 事故を大々的に報じた新聞やラジオは、福知さんの行動を美談として取り上げた。しかし「他の先生でもあの状況なら同じ事をするはず。当たり前のことをしただけなのに、過剰に褒められたようでつらかった」とさらに傷ついた。

 85歳までは毎年1回、1人で現場を訪れていたが、運転免許証を返納してからは命日に自宅で手を合わせている。「時がたち、関係者だけが知るようになってしまった。同じような事故を再び起こさないため、皆さんの記憶にとどめておいてほしい」と願いを口にした。

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