栃木県25市町と同じ名字、最多は「益子」さん? 電話帳で調べると...

本県誕生150年の節目を迎え、県庁周辺から北西の日光方面を望む=14日午前5時50分、宇都宮市内、ドローンから

 下野新聞社は2021年6月時点のNTT東日本の電話帳で、県と県内25市町と同じ名字を調べた。最多は「益子」さんで438人、次いで「茂木」さんが231人。「栃木」さんは89人で5番目だった。

 同じ表記名字を、読みは問わず調べた。電話帳なので、全世帯主が掲載されているわけではない。

 益子さんは大田原市に150人、那須塩原市と那珂川町に各86人おり県北に集中していた。お笑いコンビ「U字工事」の益子卓郎(ましこたくろう)さん(44)も大田原市黒羽地区の出身だ。一方、益子町には見当たらなかった。

 茂木さんのうち132人は足利市。同市は自民党の茂木敏充(もてぎとしみつ)幹事長(67)の出身地でもある。

 3番目は高根沢さん(149人)で、那須塩原(58人)と那須(41人)の2市町に多かった。4番目の小山さん(143人)は全県的に見られた。栃木さんは栃木市が56人で最多。「宇都宮」さんは宇都宮市や市貝町などに5人だった。

 日光、真岡、那須塩原、さくら、那須烏山、上三川、市貝、那珂川の8市町名は見つからなかった。

大田原の益子さん、ルーツは益子町か

 大田原市に多い「益子(ましこ)」さん。理由を探るべく同市内の益子さんを訪ねた。

 同市大久保の益子賢(けん)さん(81)は1974年、下野新聞に「日本系譜学会宇都宮支部長」が投稿した記事を引き合いに出した。記事によると、益子氏はかつて益子町に城を構えたが、宇都宮氏らに攻められて那須地方や茨城県久慈郡に移ったとされる。

 同市須佐木の益子芳郎(よしろう)さん(76)も、その説は「一理ある」。親族が一族に関する古文書を調べ、現在の茨城県にいた武士がルーツとみられるという。「益子町に存在した益子氏と、どこかでつながっているかもしれない」

 賢さん、芳郎さんはそれぞれの地域で自治会長などを務めた。同市の益子さんは地域に根付き、地域に欠かせない存在になっていた。

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