1944(昭和19)年6月17日、疎開先の福島県・岳温泉に列車で向かう東京都牛込(新宿)区の鶴巻国民学校の児童。太平洋戦争中に米爆撃機B29による被害を避けるため都会の子は父母と別れ、縁故先や集団で地方に疎開した。ひもじさと親恋しさから布団の中で泣く子が多かったという。
<あのころ>集団で学童疎開 戦火を避け地方へ
- Published
- 2023/06/17 08:00 (JST)
- Updated
- 2023/06/17 08:17 (JST)
1944(昭和19)年6月17日、疎開先の福島県・岳温泉に列車で向かう東京都牛込(新宿)区の鶴巻国民学校の児童。太平洋戦争中に米爆撃機B29による被害を避けるため都会の子は父母と別れ、縁故先や集団で地方に疎開した。ひもじさと親恋しさから布団の中で泣く子が多かったという。
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