被爆78年 原爆の日 世界に訴え続ける 広島の1日をドキュメント

猛暑の中、迎えた被爆78年の8月6日「原爆の日」。平和記念式典もコロナ禍前の規模に戻り、世界中から多くの人が集まりました。国と国、人と人との距離が縮まってもなお争いが続くこの世界で、広島は平和を訴え続けます。

平和公園(広島市)午前3時

13年間、原爆の日に絵を描いている人
「ことしよりは来年、来年よりは再来年とよくなっていくように願って、自分のできることをやっていかなければいけないなと。別にどこで発表するというのはないですけど、これによって何かを感じてほしい」

4歳のときに西区で被爆(82)
「お母さん、みんなと会って話しよるかね」

呉市から訪れた家族
「亡くなった祖母が毎年、来ていたので、代わりに来た」
「保育園では聞いたことあるけど、あまり知らない」
「ニュースの画面を見て、(孫も)やっぱりちょっと思いはあるようですよね」

呉市から訪れた親子
「おばが原爆のとき、この広島市内で看護師をやっていて、半分、体がもうズルズルにやけどして、その話を聞いて、その傷を見て触って、(子どもには)もう見せれないけど、わかっといてほしいな」

原爆供養塔に両親・兄が眠る(79)
「もうことしも元気に来た。来年も来る。遺言どおり必ず来るよ」

原爆投下時刻 午前8時15分

平和記念式典 「黙とう」

ドイツから
「国籍を超え、人々が協力することで世界が抱えている問題を外交的に解決し、平和につながる。そして、78年前の出来事が二度と起こらないことにつながると感じた」

広島・中区 寺町

祖父母が被爆(三重県在住)
「広島に戻ってきたタイミングで墓参りに来ているので、こういった原爆の日って、もう78年を迎えたことによって原爆のつらさっていうのがどんどんと若い子たちは知らなくなってくるんですけど、それを自分の子どもたちにもやっぱり知ってほしいっていう意味で、毎年、墓参りは来ようかなと思います」

平和宣言 平和記念式典

広島市 松井一実 市長
「G7で初めてすべてのものにとっての安全が損なわれない形での核兵器のない世界の実現が究極の目標であることが再確認されました。核による威嚇を行う為政者がいる現実をふまえるならば、世界中の指導者は核抑止論は破綻していると直視し、わたしたちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取り組みを早急に始める必要があるのではないでしょうか」

岸田文雄総理
「G7広島サミットでは世界のリーダーたちに被爆者の声を聞いていただき、被爆の実相や平和を願う人々の思いに直接触れていただきました。各国首脳による胸襟を開いた議論や『核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン』の発出を通じ、核軍縮の進展に向けた国際社会の機運を今一度、高めることができました」

「原爆の日」号外を配布

「G7広島サミット回想展」 広島国際会議場

千葉県から
「特に(芳名録の)岸田総理の文章は力強い。これから行動で示していただけるんじゃないかなと」

福山市から(中学2年生)
「核のない平和な世界を実現するという誓いを岸田さんが書いていて、ちょっと期待したい気持ちもあるんですけど、やっぱり政府に頼ってばかりじゃいけないので、わたしたちは中高生として、できる活動を続けていきたいなと思います」

広島市商・造船工業学校慰霊碑

生徒代表
★「わたしたちは広島・長崎から核廃棄・核兵器廃絶の声を世界に向けて発信していきます」

動員学徒慰霊塔

広島市立高女原爆慰霊碑

高校生
「今、ロシアやウクライナで紛争が起きているが、それが少しでも早く終戦するように、そして二度と原爆が使われることがないようにということにお祈りした」

ウクライナから避難した人も祈りに

ウクライナから避難した人
「ウクライナの平和、日本の平和、世界中の平和について祈りました。この場所ですべてが傷ついた光景はイメージできないけれど、今は平和できれいな場所で、それがずっと続くことを願う」

原爆の子の像

大阪から
「戦争は絶対ダメだという思いは途切れさせないように伝えていくことが、ぼくらの責務っていったらかっこいいですけど、そういうような形で思っています」

名古屋から
「今までよりも戦争や原爆を身近に感じられました」
「早く戦争が終わって、1日でも早く平和になってほしいなってあらためて思いました」
「この体験を持ち帰って、自分ができることをもう一度考え直して、小さなことから大きなことへつなげていきたい」

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